9月24日(水)午後2時から、新潟県庁内の記者クラブにおいて、白川は来るべき総選挙に新潟県第5区から立候補することを正式に表明した。 記者クラブでの会見には、県内のマスコミはもちろんだが、田中真紀子前衆議院議員の選挙区とあって、中央からも多数の記者が駆けつけていた。白川は、出馬に至る経緯と決意を述べるとともに、政策の骨子も発表。いつもの白川節に、大きくうなずく記者が何人も見受けられた。 白川の表情からは、表明と同時に全面戦争始まるの感を強くしている様子がうかがわれた。 記者会見を終え、各マスコミによる総選挙用の写真撮影が行われると、いよいよ「総選挙近が実感となってきたのだろう、これまでに10回も国政選挙を戦った白川だが、余裕というよりも、あけっぴろげの性格から隠せない緊張を自らほぐしていたのだろうか、冗談を飛ばしながら撮影に応じていた。 (左:冗談を飛ばしながらカメラの前に立ち、撮影する写真記者に「ちょっと黙ってていただけませんか」といわれるほどだった) |
白川は、新潟5区から立候補することになった経緯を、長年白川のために寝食を惜しんで支援して下さった白川勝彦後援会の皆さまに本人の口から直接伝えるべく、9月24日午後7時から十日町市で開催された白川勝彦後援会緊急役員会に出席、登壇した。
「長い間お世話になり、また自らも情熱を注いできた選挙区から立候補できないことは、誠に断腸の思いです。しかし、大義の前では己を空しゅうしなければならない、それが政治家だと常に肝に銘じて生きてまいりました。そして、いまもそのように生きなければならないと心に期しております。」と心境を述べると、涙する女性部幹部も多数。 渡辺秀央自由党新潟県連会長(参議院議員・写真右)も駆けつけ、白川の今回の決断に理解を求めた。渡辺会長が白川への全面支援を約束すると、会場からは大きな拍手が沸き起こった。 最後は、青年部の音頭で「ガンバロー」と、白川の新しい出発を激励。後援会の誰もが選挙戦へ向かって熱意を心に抱いての閉会だった。 (文責・岩元) |
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