実体経済とは何ぞや!?
08年10月15日
No.961
ソウルで感じたことがあまりにも多かったので、久しぶりに“永田町”徒然草をupdateする感がある。昨日の正午前に羽田空港に着いた。そのまま事務所に入り、夕刻まで仕事をし、夜には国会議員と会った。また戦いの日々が始まる。
相変わらず株価がどうなるのか大きな関心となっている。昨日は史上最大の値上がりだったというが、私にはあまり関心がない。株価が“理由もなく”上下するのが株式市場である。相場である。しかし、株価の上下は現実的現象であり、それは現実の経済に大きな影響を与える。政治はそのことに関心を持たざるを得ない。
実体経済という言葉をよく聞くが、昔はこんな言葉はなかった。実体経済とはそもそも何なのか。実体経済の反対語は、虚像経済・幽霊経済・バーチャル経済ということになるのだろう。株価の動向を真剣に議論することは、幽霊について語るようなものである。少なくとも私は、“幽霊”のことに関心はない。株価に翻弄されている人々を見ていると、申し訳ないが私とは別の世界のエトランゼの狂騒の感がする。
政治の世界の現象を株価と同じように幽霊の世界の出来事と捉える人々が結構いる。政治は人間が行うものである。表舞台で行動する政治家も人間だし、投票する有権者も人間である。そもそも“人間”は、捉えどころがない不可思議な存在である。しかし、現実的存在である人間は、現実世界を支配する法則から逃れることはできない。
現実世界の人間、その人間によって組成される社会事象を支配する法則・原則を窮めようとするのが社会科学である。政治学も立派な社会科学である。長い間、私は政治の世界を生きてきたが、政治を科学の対象としてみてきた。政治家である私も、政治を支配する大きな法則・原理から逃れることはできないという諦観をもっていた。諦観は“諦め”という感がするが、この諦観が時として私に勇気を与え、行動の原動力・指針となった。
永田町徒然草は、政治の世界である永田町の事どもを“徒然に”論評するものである。“徒然に”というのは、出鱈目ということでなく、時には自らが参加している政治を突き放して冷静にみるという意味合いを込めている。そうでなければ、永田町徒然草No.953「野党の全国会議員に贈呈」の“著者の自嘲”で、「この本(注:『自公連立解体論』)がベストセラーになることは多分ないであろう(笑)」などとは書けない。いっぽう「政治という分野からみてこうした傾向を残念に思っている」は、行動者たる私の切実な思いである。
それでは、また。