俗悪番組としての政治番組
08年08月10日
No.896
“柔ちゃん”は銅メダルに終わった。中継で観た訳ではないが、“柔ちゃん”にとって無念な決勝戦だったと思う。“柔ちゃん”はその悔しさを3位決定戦で示した。見事な一本勝ちだった。たぶん彼女の精一杯の抗議を示したのだろう。口ではいわないが、意地と誇りは失わない。かつての日本の男はそういう生き方をしたものだ…。
日中問題は、避けることができないことである。隣国の大国だからである。こういう時は、私たちは日中問題を真剣に考えればよい。ところが、フジテレビの『報道2001』は“外国人労働者問題”をやっていた。外国人看護師・介護士の参入問題と研修生制度を扱っていた。さらには1000万人移民計画にまで話を広げていた。
舛添厚生労働大臣と山本一太外交副大臣が出席していた。この両人とも自民党を代表する口舌の徒である。もう一人は評論家の西部邁氏であった。外国人労働(者)問題を論じるときに、この三人ではそもそも正しい論点さえ提起できる筈がない。わが国の労働問題の実情を知っている者がいなければ、おかしな討論会になることは最初から分かっている。放送法が定める“報道の基準”からしてもおかしいのである。その通りに極めて問題の本質を隠蔽する番組であった。このことは後日述べることにしよう。
TBSの『サンデーモーニング』は、北京オリンピックのことを正面から報道していた。大沢親分と張本さんのコーナーでも野球だけでなくオリンピックの競技も話題になっていた。多くの国民の耳目が北京オリンピックに集まっているのだからそれで良いのではないか。ほとんどのマスコミが異常な警備体制について報道・論評している。世界中からあれだけの要人が集まるのだからそれなりの警備体制がとられるのは不思議ではない。もしそれを批判・論評したいのならば、洞爺湖サミットにおける警備を合わせて取り上げなかればならない。北京の警備よりはるかに異常だったのは、サミット開催期間の東京での警備だった(参照:“法の庭”徒然草No.12「お疲れ様でした」)。
NHKの『日曜討論』では、新閣僚を呼んで政府報道をやっていた。誰もどっ白(ちら)けたであろう。見る人もいるだろうが、こんな政府広報に近い番組に付き合うのは奇特な御仁なのだろう。任務の都合上から少し見た。中山大臣以外の全部と私はそれなりの深い付き合いがある。その人たちの本性を知っているだけに、私は気分が悪くなった。かつて「NHKのニュース報道番組は俗悪番組である」という人がかなり多くいたが、今日の『日曜討論』を見ているとその感に共鳴せざるを得ない。
テレビ朝日の『サンデープロジェクト』は、これから秋葉原事件と韓国の李明博政権の危機を報道するという。これも明らかにピント外れだ。政治家もジャーナリストも具体的問題を具体的に分析する能力が求められる。今日の日曜定番の政治番組をフォローしてその感を新たにした。これは単なる偶然だろうか。私はそうでないと思う。自公“合体”政権のマスコミ支配は、自民党単独政権の時代と明らかに異なる。創価学会はマスコミ対策を組織的・継続的に行ってきた集団である。自公“合体”体制には創価学会がどっかりと座っていることを忘れてはならない。
それでは、また。