洞爺湖サミットの政治的総括
08年07月10日
No.865
洞爺湖サミットが閉幕した。この3日間、私は本業の方がとても忙しかった。だから、洞爺湖サミットのことは夜のニュース報道番組をみるだけだった。だいたいのことは承知しているつもりである。環境派にいわせれば、不謹慎といわれるだろう。環境派の方々にお尋ねする。洞爺湖サミットはどこかおかしくはないか。
いまCO2を削減しなければ、地球は破滅するといわれている。ツバルは消え、地球の多くの都市が海面に沈むといわれている。そうだとしたら政治的な一大事だ。もしその方向に地球が向かっているのだとしたならば、政治的にはすべての課題に優先する。政治的決断とは、優先順位を決めることだ。サミットは先進諸国の首脳が集い、政治的決断する場であった。今回のサミットは、その政治的決断をしたのだろうか。そこだけに注目して洞爺湖サミットを分析してみよう。
地球温暖化の現状は、本当のところどうなのであろうか。現状の地球は、CO2が増大している。このままでは地球が破滅するといわれる所以である。だとしたら、いちばん大切なことはCO2の排出をまず現状凍結することであろう。凍結すらできない者が将来は削減するといくら言っても、そんなことを信用することなどとてもできない。当面削減しなくても将来大幅に削減すれば大丈夫だ、というのであればどのくらいの増大ならば許容範囲なのであろうか。そんなことをいう環境派はいない。一刻の猶予もできないというのが、大半である。
だとしたら、CO2削減は絶対的な命題である。CO2排出の現状凍結は、“超”絶対的な命題な筈である。わが国では、CO2が増加している。まずわが国のCO2の排出を凍結することは、すべてに優先する命題である。政治的決断とは、ある目的を達成するためにある実行を決めることである。重要なことでもこれをあえて切り捨てでも、ある目的に向かうことである。文字通り“決断”なのだ。地球の破滅に比べれば、あらゆる問題を切り捨てることも許容される筈だ。洞爺湖サミットには、いろいろな問題が雑炊のように投げ込まれた。これでは、決断はできなくなる。
世界で現実にCO2の排出が削減されている国はどこなのだろうか。ヨーロッパのいくつかの国ではそれが達成されているのかもしれない。だったら、まずその国を見習うことである。自分の国でCO2の排出凍結もできない国が偉そうなことをいくら言っても、これに耳を傾ける者などいない。私にいわせれば“ヒステリック”としか思えないエコ・CO2削減・地球温暖化防止のキャンペーンにもかかわらず、わが国のCO2削減が進んでいないのが奇異である。口でいうほど真剣に考えていないからだと思わざるを得ない。
地球の破滅を阻止することは、あらゆる課題に優先する。あらゆることも地球があってのモノダネだ。地球温暖化を防止するためにCO2削減が絶対に必要だというのであれば、そのように決断すればよい。洞爺湖サミットは果たしてそのような決断をしたのだろうか。その決断をしていないとすれば、CO2削減は絶対に必要だということも怪しくなる。CO2削減が絶対に必要だということが怪しくないとしても、それを口にする政治家はどうも怪しい。福田首相は最初からどこか怪しい政治家である。そもそも福田首相を総理大臣に選出した自公“合体”体制が怪しいモノなのである。
それでは、また。
参考:洞爺湖サミットの警備に関して、 “法の庭”徒然草No.12「ご苦労様でした」で私の意見を述べおきました。