江戸時代のway of life !
08年05月29日
No.822
私は近ごろ時代劇をみるのが好きになった。若いころ映画をよく観たが、時代劇はあまり好きではなかった。もちろん『7人の侍』とか『用心棒』などは別格だったが・・・・。若いときは現代的な物に憧れていた。私が住んでいた所は、もちろん江戸時代のものが残っていた訳ではなかったが、現代的なものが溢れていた所でなかったせいかもしれない。
ところで、この前私が生まれ育った実家のあった近所に行った。私の実家は江戸時代後期に建てられたものであった。実家があった村落でははじめて茅葺の家ではなかったという。それが父の自慢であり誇りだった。だから建てられてから間違いなく150年以上は経っていた。実家を継いだ兄は数年前に埼玉県久喜市に越してきた。子供たちがみな東京で就職したからである。その際に実家があった土地は売り払った。私はそれで良いと思っている。
実家のある土地を売った際に実家は取り壊した。150年余も経った建物であるからまったく無価値だった。その後間もなくして中越地震が起こった。実家がそのままあったら間違いなく倒壊していたであろう。兄は賢明な選択をしたものだと思う。それはそれでよいのだが、私の実家が無くなったことにより、私の少年時代の村落の面影は完全になくなった。この前、実家の近くに行った時、そのことを痛感した。実家の周りの家はとうにすべて新しく建て変えられた。私のさまざまな思い出が交錯していた実家は今やない。
これは私だけのことではないだろう。私たちの脳裏に刻み込まれている故郷の原風景はいまやほとんどの地域でなくなっているのではないか。皇居に参内した際、宮内庁の職員に「江戸時代からある建物はどれですか」と私は尋ねた。私を案内したその職員は「残念ながらひとつもありません。あるのは石垣だけです」と答えた。日本の文化は木と紙の文化といわれる。だからよほど努力しないとこのように全てなくなってしまうのかもしれない。
そんなことがあったせいであろうか、時代劇で江戸時代の建物や風物をみると心が落ち着くのである。時代劇のストリーはあまり関係ない。映像そのものに興味がそそられるのだ。古い奴と笑わば笑え。江戸時代の建物や風物には、“原日本”がある。江戸時代の文物や風物こそ、鎖国の中で日本人が自らの力で創り出した物であった。かつてオランダを訪れた時、ゴッホ博物館に行った。そこで数枚の浮世絵に出合って驚いた。浮世絵の華麗かつ強烈な色彩は、ゴッホをはじめとするヨーロッパの画家を驚かしたのであろう。
私が近ごろ江戸時代に関心をそそられるのは、江戸時代の日本人の way of life である。もちろん封建的なものを礼賛する気などさらさらない。私が着目しているのは、鎖国という極限の状況の中で産み出された way of life なのだ。日本人の精神として“モッタイナイ”が有名になった。しかし、江戸時代の日本人の way of life には、それ以上にポジティブなものがあったような気がするのである。私たちの周りにあるものをフルに使って、いま私たちが文明の利器と考えているもの――その大半は外来のものであり原材料も外来である――のほとんどを江戸時代の人々は手にしていたのである。
私たちはいま文明の利器やスタイルを失うことに恐怖を感じているのではないか。それは日本人だけではない。世界中の人々が他国の文明の利器や way of life を欲している。地球は60数億の人々の文明の利器や way of life を満たすことができないかもしれない。この道理が分からないと世界中で奪い合いが起こることになる。その兆候が至るところにみられるような気がする。そんな中で、鎖国ゆえに自国にあるものを目一杯使って文化的な生活をしていた江戸時代の日本人の way of life を少なくとも日本人は見直しても良いのではないか。
今回は総論だけにしておこう。日本食は世界で注目されている。これは間違いなく日本人が作り出してきたものである。いつもいっているように寿司は日本食のほんの一部にすぎない。私たちが世界に発信したい日本食は他の物のような気がする。例えば“肉ジャガ”だ。日本建築も参考になるところがあるのではないか。伝統的な日本建築には省エネルギーの考えがあるのではないか。日本の衣服は国内でも廃(すたれ)ている。でもジンベイなどはイキだし、非常に涼しい。作務衣などは結構いろいろな国でも通用するような気がするのだが・・・・。
それでは、また。