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人生風雪

08年05月24日

No.817

今朝も5時ちょっと前に目が覚めた。ところは新潟県新潟市の甥っ子の家である。昨夕、仕事を終えると私は上越新幹線に飛び乗った。グリーン車以外は満席だった。金曜日だったので、単身赴任の方々が家族のいる地方の家に帰るためなのであろうか。上越新幹線というと、多くの人々は田中角栄氏の政治路線と思うかもしれない。だが、乗客は結構多いのである。細かいデータはもっていないが、赤字路線とは聴いていない。

新潟市の甥の家に来たのは、従兄弟の17回忌に出席するためである。亡くなった従兄弟と私の2番目の姉が結婚した。従兄姉同士の結婚である。実兄が小さかったので、父の姉の子から婿養子にきてもらい、実家の家業を経営してもらったのである。昭和24年のことであった。この夫婦の子供、すなわち甥と姪は私が住んでいた実家で生まれ育った。

私は9人兄姉の末っ子とよく自己紹介するが、同じ家に生まれた甥と姪は私にとっては弟と妹のようなものである。年頃もそうであった。甥は昭和25年に生まれた。2人の甥と1人の姪が生まれた。2番目の甥は小さい時に赤痢で亡くなった。その時の悲しみは大きかった。私が人生で初めて遭遇した“身近な者の死”であった。父と母が亡くなり、その後2人の姉も亡くなった。私がいまいる甥の母すなわち私の姉は86歳である。頑張って私も姉の齢まで生きれればよいのだが・・・・・。

私はこういう話が苦手である。画にしないとその関係が分からないのである。以上の人間関係はそんなに複雑ではないのでご理解いただけただろうか。この姉と従兄弟とその子供たちとは、昭和33年まで一緒に暮らした。その後、この家族にも私にもいろいろと辛いことがあった。それを乗り越えてなんとかお互いに元気に暮らしている。今日は法事なので親族が集まるが、姉や甥と話をしたかったので1日前に来たのである。1日早く来た甲斐があった。

姉は甥夫婦、孫夫婦と一緒に住んでいる。私は孫夫婦の子供と昨夜花札をした。小学校1年生と3歳の女の子である。3歳の子供がちゃんと花札をやるのである。そういえば私もそのころ大人たちと炬燵で花札をやったような気がする。ピーナッツやミカンを賭けて。甥のいうことには、何かを賭けないとやはり覚えようとしないというのだ。まだ寝ているが、起きるときっと花札をせがまれるであろう。私はやってやろうと思っている。

それでは、また。

白川注:この家にはインターネット接続環境があると聞いていたので、接続できるとばかり思ってきた。ところが、この家のパソコンの接続端子が分からないので、私のパソコンをインターネットに接続できないのである。接続できるところがあったら、updateする。午前5時40分記。

  • 08年05月24日 07時39分AM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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