なぜガソリン報道が少ないのか!?
08年04月17日
No. 775
最近ちょっと気になることがある。私はできるだけニュース報道番組をみるようにしているが、ガソリンに関する報道がきわめて少なくなっていることである。暫定税率が廃止されて半月以上経つので、ガソリンも軽油も暫定税率がない価格で販売されている。このことを国民がどのように思っているのか、国民の生活実感に基づく生の声は、重要な政治的事実である。またガソリンや軽油が安くなったために消費がどのようになっているかも政治的に重要な事実である。
政治というのは、面倒くさい難しいことをいうことではない。社会で現実に生きている国民の想いや行動を具体的に捉え評価することである。いま諸物価が上昇している。老人の少ない年金から健康保険料が天引きされることになった。春闘は掛け声と異なり、賃金はほとんど上がらなかった。その中で政治的原因でガソリンの価格が下がった。万事において苦しい地方の人々にとって、ガソリン価格の下落によって支出を免れた金額はかなり大きい。人によっては、諸物価の上昇分くらいが吸収できるくらいの額である。この事実をどのように受け止めているのか。自公“合体”政権が再可決すれば元の木阿弥だ。そのことをどう考えているのか。国民の生の声は、重要な政治的事実である。
福田首相が吹聴した混乱はあるのか。業界や地方自治体の混乱ではなく、国民生活のいかなる分野でどのような混乱が生じているのか。これを報道することは、マスコミの義務といってもよいのではないか。それにもかかわらずマスコミがこうしたことをほとんど報道しないのは、意図的とさえ考えられる。要するに暫定税率が廃止されている現実を事実として意識させないようにと考えているのではないか。暫定税率が課せられていないガソリンがある事実は、夢や幻ではない。現実なのである。この現実の是非をいま問うことは、ジャーナリズムの責務である。
廃止された暫定税率を10年間も復活させることは、事実ではない。自公“合体”政権が政治的意思をもってこれから行おうとしている政治的行為なのである。その政治的行為の是非を問うのは、マスコミ・ジャーナリズムの責務である。それなのに、あたかも既定事実のようになぜ問題にしないのだろうか。多額の政府広報費をもつ内閣に対する遠慮があるとしたら、恥ずべきことである。多額のマスコミ対策費をもつ創価学会に影響されているとしたら、卑屈である。暫定税率が廃止されたガソリンが現実社会でどのように受け止められているかを報道しようとしないマスコミの姿勢は、深読みするとこういう疑念まで生じさせる。
マスコミだけではない。道路特定財源の暫定税率という単純な問題であるが、このことに関する発言でいろいろな人の本性が明らかにされる。具体的な問題であるから“まやかし”は利かない。私自身、買被りしていた人の本性をみさせてもらった。同じように私も評価されている筈である。已むを得ない。税に対する考えは、その人の政治的本質を問われても已むを得ないテーマである。私は最近あまり“リベラル”という言葉を使わないが、道路特定財源の暫定税率問題に関する私の見解は、基本的に“リベラル”の思想に基くものである。
それでは、また。