個人の尊厳と税金
08年04月03日
No.759
“名ばかり管理職”というのは、本来ならば昨年の流行語大賞になっても好かったのではないだろうか。いまNHKでやっている。確か一昨日の特番でやっていたものだ。時間の都合でみれなかった。昨年、マグドナルドの店長が訴訟で勝利し、多くの人が知ることになった。でもこの訴訟はまだ続いている。確定した訳ではない。
さらに驚いたのは昨日のNHKのニュースで“自分は名ばかり管理職だ”と思う人が、管理職の半数以上あったという調査結果を報道していた。正規社員を派遣社員やパート労働者に切り替え、せっかく正社員になっても今度は“名ばかり管理職”として残業代をケチる。ホワイトカラー・エグゼプションも同じような脈絡なのだろう。こういうことが“構造改革いう美名”で、小泉改革の時代に大手を振って企業で行われてきた。
これはほんの一例だが、“小泉改革”なるものは人間を置き去りにしたものだった。企業とか国家とか国際社会とかいうものが特に強調された。企業も国家も人間が作るものであり、人間にとって大切なものであることは確かだ。しかし、企業や国家に個人を超えた特別の価値を認める考えを全体主義という。全体主義に対置する概念は、個人主義である。個人の尊厳に何よりも価値を認める考えである。そういえば最近“個人の尊厳”などという言葉を滅多に聞くことがなくなった。“個人の尊厳”などということ自体が青臭いといわれる。
ところで、閲覧される皆さんは、白川サイトにいろいろなページから入ってこられる。この入り口にあたるページをEntry Pageという。いちばん多いのは、実はホームページではない。永田町徒然草新着のページである。約33%の人がここから入ってくる。次がRSSフィードである。そういう人が約23%いる。これがどういうものなのか、実は私にも分らないのだ。なにやら便利なものらしい。Webマスターと読者だけが知っている(笑)。インターネットに興味のある方は挑戦して欲しい。どのEntry Pageから入っても、もちろん永田町徒然草は同じである。
「忍び寄る警察国家の影」というページから入ってくる人がいまなお全体の約3%以上もいる。人数にして1日あたり340人である。Googleで「職務質問」を検索すると忍び寄る警察国家の影がこの数年間不動の2位を誇っている(笑)。もちろん1位はWikipediaの職務質問であるが、あるときこれを超えてわが忍び寄る警察国家の影が1位の時があった。これには私もびっくりしてした。まぁ職務質問をいちど体験してみれば分る。個人の尊厳が著しく損なわれる!!
ところが多くの人々は、「これだけ治安が悪化しているのだから、悪いことをしていないのならば素直に職務質問に応じればよいではないか」という。これは逆にいえば、国民は無罪を国家権力に証明しなければならないことを意味する。国民に対して犯罪や脱税の追及するには、警察や税務署は証拠に基づいて行わなければならない。これが自由主義国家の原理原則である。憲法はその原理原則の章典といっても良い。この原理原則が無くなると独裁国家になる。独裁国家はいまでも多数ある。その国の国民がどのような生活を強いられているか、マスコミが伝えるところである。
道路特定財源の暫定税率の廃止が、国家や地方に混乱や迷惑がかかるという自公“合体”政権の言い分も同じようなものであろう。地方財政に穴が開く、道路建設ができなくなる、国民経済が混乱する等々。自公“合体”政権の言い分には、人間が見えない。1億2700万人の国民の気持ちが分らない者には政治を語る資格がない。税とは国民から金銭を“収奪する行為”なのである。一部の国民を除いて、勤労者は冒頭に記したように劣悪な状況で必死に働いて賃金を得ている。その者から無理矢理にお金を取ることである。収奪という言葉はなにも反政府的言動でもなんでもない。
明日からは道路特定財源の暫定税率を廃止するためにどうしたら良いのか、その戦略と戦術を述べることにしよう。細かい議論になるが、相手は“えげつない”自公“合体”政権なのである。生半可な戦いでこれを実現できるなどと思わない方が良い。税の収奪は、法律によってのみ合法・適法となる。その法律をいま国会で決めようとしているのだから、議論は当然に細かくなる。国会議員は法律を作る国家公務員なのであるから、法律にもっと詳しくなければならない。法律が分らないという人には国会議員の資格はない。
それでは、また。