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同一労働・同一賃金

06年12月14日

No.276

私は在学中に司法試験に受かったが、大学の授業にはほとんど出席しなかった。寮の委員長などをやっていたのでそちらの方が忙しくて授業に出る暇がなかったのである。従って単位をとるために受けた試験はほとんど良か可であった。優は一つか二つしかなかった。その中で不可をもらったのが労働法だった。労働法の教授は石川吉衛門といった。長く続いた商家の子息で襲名した名前なのだという。確かにそんな感じのする名前である。学生の間では東大法学部の三バカ教授といわれていた一人であった。その教授から不可をくらったのである。私の自尊心(?)はいたく傷つけられた。石川教授の講義録を買って翌年は優をとった。意趣を晴らすことができた。

司法試験の選択科目でも私は労働法をとり、これもかなりいい成績がとれたと思っている。だからけっこう良い成績で司法試験も合格することができた。石川教授は中央労働委員会の委員なども務められ、実務を重視する学者だった。社会主義理論を展開するような労働法学者もけっこういた。そういう労働法を良しとする人たちからみれば、石川教授は学究肌の学者ではなかったし権力側の学者とみられるのもやむを得なかったと思う。石川教授の名誉のためにいっておくが、同教授は決してバカ教授などではない。当時まだまだ労働争議や労働事件がいっぱいあり、労働法は労働現場の熱い紛争を解決するきわめて実践的な法律であった。

意趣返しと司法試験の選択科目として勉強したくらいであるから、労働法を論ずる力は私にはとてもない。しかし、労働法に関する問題を考えるとき、同一労働・同一賃金という原則と労働組合差別の禁止という二つのことをふまえていればだいたい大丈夫だというのが私なりの理解であった。労働者を雇う方は、昔も今もできれば安い賃金で雇いたいのだろう。手を変え品を変えて同一労働・同一賃金という大原則の網の目を潜ろうとするのだろう。当時の裁判所はかなり厳しくこの脱法行為をチェックしていたように記憶している。いま多くの人が問題にしている非正規社員の増加は、要すればこの大原則のチェックが十分行われていなくなったということなのである。

非正規雇用といってもいろいろあるのだそうだ。派遣労働はまだいい方なのだという。パート労働が次ににあり、いちばん不安定なのがワンコール・ワーカーと呼ばれる人たちだとこの前テレビで報道されていた。派遣労働者は、実際に働いている会社との間には労働契約はないが、派遣会社との間には労働契約はあるからだろう。パートタイマーは昔からいた。しかし、それは主婦などが8時間は働けないという事情であえてパート労働者として勤務することが多かったように思う。現在はパート労働者であっても労働時間が一定の基準を超えると労働基準法などで正規雇用と看做され、社会保険などに加入させなければならなくなるため雇用者の方がその基準を超える労働をさせないためにあえてパートタイマーとしているケースが圧倒的に多いのである。

ワンコール・ワーカーは、昔でいえば「立ちんぼ」といわれた労働形態なのであろう。学生時代に私もアルバイトで船の荷物の揚げ降ろしの仕事をしたことがある。普通のアルバイトより賃金が高かったからである。朝決められたところに行くとこのアルバイトができた。高度成長期であったから、あふれることはまずなかった。携帯電話が普及したためにこれがワンコール・ワーカーとなったのだろう。いずれにせよ、正規雇用のチャンスが減っている。会社にとっては短視眼的にはいいのだろうが、働く者にはいい筈がない。衣食足りて礼節を知る。大昔からいわれてきたことだ。昔では考えられないような事件や事故が毎日多く起きている。そして治安の強化ということで監視社会と警察国家になろうとしている。いや権力者はそういう国家を作ろうとしているが、衣食住を足りないようにしている自らの不明をまず反省しなければならないのである。

雇用者というのはいつの時代でもどこの国でも、賃金は安い方がいいと考えるものである。これに労働者が対抗しようというのが労働運動であり、その組織が労働組合である。雇用者の良心を期待するだけでは無理なのだ。雇用者としては労働組合を敵視する。労働組合に所属したり、労働組合運動をする者を差別しようとする。そこで憲法28条は「勤労者の団結する権利および団体交渉その他の団体行動する権利は、これを保障する」と定める。勤労者の団結権ー―労働基本権の尊重といわれるものである。戦後多くの労働組合が設立され、活発な労働組合運動が起こった。試行錯誤の結果、世界でもかなり安定した労使関係が昭和30年代半ばには確立された。日本型経営と呼ばれたものにはこの労使関係が重要な要素としてであった。一億総中流社会といわれたが、その背景にはこうした実態があったことを忘れてはならない。

「会社にとっては短視眼的にはいいのだろうが、働く者にはいい筈がない」と述べた。働く者にいい筈がないばかりではなく、国家や社会にとっても長期的視点に立てば決してよくないのだ。株価が低迷していた頃、リストラ策を発表するとその会社の株が上がった。経済のことは詳しくない私だが、これだけはおかしいと思った。何か狂っていると感じた。経済は、「経国済民」から出た言葉だったと記憶している。馘(くび)を切られた人が困るのは誰だって分かる筈だ。人を苦しめることをやった会社が評価されるというのは、どう考えてもおかしいい。そういう経営者は軽蔑されても評価されることなど昔は決してなかった。これが経済に対する日本人の伝統的な素朴な感情である。

案の定、困ったことがたくさん出てきた。それをいちいち挙げることはここではよそう。問題はこういう風潮を煽ったのが小泉改革だということである。これを持ち上げたのがマスコミであった。厳しい国際競争に勝ち抜くためにこれはどうしても避けることができないのだと論者はいう。しかし、わが国の企業で国際市場で商売をしている会社は一体どの位あるのだろうか。多くの企業は国内市場が相手であり、その市場規模は世界市場の10%を超えるものだ。決して小さいものではないのだ。その市場が完全に冷え込んでしまった。これが多くの企業の首を絞めた。中小企業の大半はこうした会社である。地方にある中小企業のほとんどはこういう会社である。だから地方が極端に落ち込んでしまったのだ。

私は松下幸之助氏がソケットを発明して、今日の松下電器の基礎を築いたということを原体験として理解できる。私が生まれた昭和20年代、電気のない家は新潟の田舎であってもさすがに無かった。しかし、裸電球が数個しかないという家は決して珍しくなかった。農地解放により少しずつ豊かになりはじめた農家に、少しずつ電化製品が揃っていった。そこで活躍したのが電気ソケットだった。私はそれを原体験としてみてきた。豊かな国内市場が形成され、その市場で消費者の評価に堪えたものが世界市場でも売れたのである。豊かな国内市場がなければ世界市場で勝負できる商品も企業もそもそも生まれないのだ。オーストラリアに行った時、2000万ちょっとの人口しかない国では市場規模が小さすぎて国産車を作っても商売としては成り立たない、だからオーストラリアでは自動車工業は育たないのだといわれた。経済とはそういうものかと知らされた。私たちが日本経済を語る時、1億2600万の人口がありしかも豊かな消費者がいる日本市場はその基礎・地盤であり、源泉であることを忘れてならないのである。


済民してこそ、はじめて経国もできるのだ。中国の為政者におくられた論語などの古典の意味するところを経済学者から解説してもらいたいものである。「改革、改革!」と経文を唱えるように口にする自公の政治家は、こういうことが全然分かっていないようだからである。しかし、それも無駄なことか。自公の政治家には池田大先生のお言葉しか耳に入らないようである。日本も堕ちたものである。

それでは、また。

  • 06年12月14日 02時32分PM 掲載
  • 分類: 6.経済

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