JPに急き立てられて
07年12月23日
No.652
JPのテレビコマーシャル――“年賀状は25日までに”に急き立てられて、昨日から年賀状出しにとりかかった。昨年は、約2週間も年賀状にかかりきりだった。しかし、そのことは意味があった。多くの旧交を改めることができた。今年も年賀状を出すつもりだったので、事務所にあった名簿を新しいコンピュータに移しかえておいた。今年はかなり楽にはなると思っていたのだが、いざ始めてみると……。
今年の夏に新しく買ったコンピュータに私は名簿を移しかえておいた。全部で20万人の名簿が入っている。もちろん全部に出すことなどできない。特にお世話になった方々に出すしかない。一つひとつの名簿にいろいろなデータが記入されている。それに基づいて今回年賀状を出す方々をピックアップしなければならない。基礎的な選定は今年の夏に終っている。それをさらに精査して、今回年賀状を出す方々を決める。いまその作業をしているのだが、一人ひとりが懐かしく思い出され、なかなか絞りきれないで困っている。
小さなコンピュータに30年近くの私の活動を窺うことができるデータがギッシリと詰まっている。思い返せば、実にまぁ、いろいろなことをやってきたものだと思う。それよりも有難いのは、多くの方々に実にお世話を頂いたものである。改めて感謝、感謝の念に押しつぶされる。私が現在あるのは、多くの人々のお力添えを得て選挙に勝ち抜き、政治家として育ててもらったからである。私はそのことを忘れないで、いま自分のできることに専念しなければならないとの想いを新たにする。
年賀状は“虚礼”という人もいる。私は以前から“節目”を大切にする方である。“去る者は、日々に疎し”という。人間はできるだけ触れ合わなければならない。そうしないとなかなか理解し合うことはできないものである。年賀状はほんのその切欠にすぎないが、その始まりとなることもある。そう考えると意味はあるのではないだろうか。私も来年は63歳になる。“まだ生きているぞ”というアピールでもある。そういえば、秋から暮れにかけていただいた“年賀欠礼”の葉書で、何人かの知人の死を知った。私もそういう年齢になったのだ。悲喜こもごもの年末である。
それでは、また。