国際政治の中の日本
07年10月04日
No.570
ミャンマーでは反政府デモに対して軍事政権が武力鎮圧を始めた。その中で日本人の映像報道記者が殺害された。北京で開催されている“北朝鮮の核問題をめぐる6ヶ国協議”全体会合で、北朝鮮の核施設を無能力化することで合意が成立。これに基づき、アメリカの主導で2週間以内に専門家チームが訪朝、3施設の無能力化に着手する。この合意を受け、米国は北朝鮮に対するテロ支援国家指定を解除する方向を示唆している。
ミャンマーに対してわが国は多額のODAを行っており、軍事政権の武力鎮圧を牽制するくらいの影響力の行使は可能なのである。確か在ミャンマー日本大使の公邸は、アウンサン・スーチー女史が軟禁されている邸宅のまん前にあったと記憶している。アウン・サン(Aung San)将軍はスーチー女史のお父さんで、「ビルマ建国の父」として現在もミャンマー国民の敬愛を集めている。アウン・サン氏は独立運動をしていたとき、イギリス官憲から逮捕状がでた。そのときアウン・サン氏は日本に渡航した。日本とミャンマーには深い因縁があるのである。
北朝鮮の核開発は、わが国にとって大きな脅威である。この問題を解決するために6ヶ国協議がもたれることとなった。北朝鮮と正式な国交がないわが国にとっては、非常に有益なことである。しかし、この6ヶ国協議の中で、わが国は拉致問題を強調するだけで、核問題を解決するために有効な働きをしていない。6ヶ国協議は、北朝鮮の核問題を解決するために設けられたものである。核問題の解決に前進があれば、各国は一定の評価をし、この協議をまとめようとするのは当然のことである。アメリカは北朝鮮との個別交渉で、北朝鮮が求めてきたテロ支援国家指定と対敵国通商法の制裁の解除について時期を具体的に示さなかったが「北朝鮮がとる行動と並行して履行する」と言及した。
これに対するわが国の政府の対応は、“時期が具体的に示されていない”ことを挙げてあたかも交渉で勝ったような口ぶりである。ブッシュ大統領の「拉致問題があることは心に留めておく」という主張を金科玉条のように繰り返すだけである。こうなるともう見苦しいだけではなく、恥ずかしい。アメリカにはアメリカの国益があるのだ。わが国は、核問題も解決しなければならないし、拉致問題も解決しなければならない。この二つを同時に解決できればそれにこしたことはないが、拉致問題が解決しなければ核問題が解決しなくともよいということにはならないだろう。
わが国は、拉致問題を6ヶ国協議の場を通じて解決しようとしているのだ。それは自由だが、6ヶ国協議はあくまでも北朝鮮の核問題を解決するために設けられたのだ。拉致問題が解決しなければ、核問題を解決するための対策には一切協力はしないというのでは、他の5カ国は“だったら好きにしたら”といいたくなるだろう。拉致問題の解決のために他国の協力を得ることは大切なことだが、他国がわが国と同じ比重を拉致問題におくかどうかは各国が判断することである。同盟国であるアメリカがわが国を裏切ることはないと、素朴に信じているようである。この人たちは、中国の国連加盟に最後の最後までアメリカに忠義立てをしてきたわが国の頭越しに米中国交樹立がなされたことを知らないのだろうか。わずか30数年前のことにすぎない。
わが国は国際政治の場で存在感がないのである。以上はその象徴的な証拠である。それはそうだろう。ある日突然子供みたいに任務放棄をしてしまう首相を産み出すような自公“合体”体制を信用してくれといっても、それは無理というものである。安倍首相の後継者の選出過程を冷静にみていれば、福田内閣を信用しようという気も起こらないであろう。諸外国はわが国の国民よりもはるかに冷静にわが国の政局の流れをみていると思う。岡目八目というではないか。自公“合体”政権の寿命が尽きつつあることを見透かされているのだろう。多くの日本人がブッシュ政権の終焉を感じ、次は民主党大統領の出現を予想していることと同じである。
諸外国からみたら、日本は要するにアメリカの“忠犬”なのだ。また同盟国というのは、そういうものである。何事についても「日米同盟、日米同盟」と叫ぶ日本という国がアメリカの“忠犬”とみなされるのは、国際政治では仕方のないことである。日米同盟の支持者としては、これは恥ずかしいことではなく誇るべきことなのである。しかし、多くの国民はそう思えるであろうか。少なくとも私はそう思わない。
私は決して反米主義者ではないが、日米同盟論者ではない。日米安保条約が果たしてきた役割は評価するが、絶対的価値があるとは思っていない。現在の国際関係において、軍事力はいまや相対的な価値しかもっていない時代と考えている。軍事力の行使が無前提に許される場合にだけ、圧倒的な軍事力をもつアメリカとの同盟関係は絶対的な価値がある。いまや国際政治は、無条件の軍事力の行使などを許さない。無条件の軍事力の行使など許さないという力を国際政治はもっている。北朝鮮の核実験・ミサイル発射実験が、6ヶ国協議という場を作らせたのはその証拠でもあろう。
「具体的状況における具体的分析」が、政治にとっていちばん重要なことである。具体的状況を具体的分析をすることにより、レーニンはロシア社会主義革命を成功させたのだ。社会主義者の言葉だろうが、正しいことは率直に学ばなければならない。それが歴史を学ぶということである。レーニンという名前を聞いただけで鳥肌が立つ右翼反動主義者に、それは期待できないことであろうが(笑)。政権担当者には、「国際政治の具体的状況」を「具体的に分析」して、わが国の国益をはかる責任がある。
「アメリカのいうことを忠実に実行し日米同盟を磐石にすることがわが国の国益に繋がる」と考えるのが、日米同盟論者の考えである。だが、それで本当にわが国の国益が守られるのか。テロとの戦いということで、インド洋における給油活動を今後も続けることが本当にわが国の国益になるのかどうか、その問題に答を出すのが今回の臨時国会の最大の政治テーマである。
参議院で多数をもつ民主党を中心とする野党がこの問題をめぐり堂々の論戦を行えるかどうかが試されている。この論戦を通じて、圧倒的多数の国民がインド洋における給油活動はもう止めようと考え、自公“合体”政権が憲法59条のいわゆる3分の2条項で法律とすることを阻止することができるかどうか。国会対策的には、それは不可能である。3分の2条項の発動を阻止できるのは、国民の政治的力だけである。1960年(昭和35年)の安保闘争を上回るような“政治戦”だけがそれを可能にする。具体的状況の中で、どのような政治戦を行えばこれを阻止できるのか、具体的に分析した戦いを行わなければならない。私はこのWebサイトを通じて、この戦いについて発信する。
それでは、また明日。