国民投票法の成立の意味
07年05月15日
No.426
東京はいま爽やかな五月晴れである。爽やかな秋晴れも好きだが、私は五月晴れの方が好きだ。秋の次は冬である。私が生まれ育った新潟県十日町市では、11月になればもう霙や雪が降った。とても寒かった。12月になれば、積雪となっても仕方ない。それは本当に丈余の積雪となり、4月まで大地をみることはできないのだ。雪との過酷な闘いをしなければならなかったからだ。
昨日、ついに憲法に関する国民投票法案が参議院本会議で可決した。いよいよ法律となるのである。現在の自公合体政権の議席を考えれば、これを阻止することはきわめて困難であったであろう。今回成立した国民投票法には、最低投票率・公務員の関与・報道規制・投票年齢など多くの問題がある。それを指摘して反対という声も多い。しかし、憲法改正案が国民投票にかけられるのは、衆議院と参議院のそれぞれで3分の2の賛成を得て憲法改正案が決められてはじめて行われるのだ。国民投票法のどこに問題があるかということも大切だが、変な憲法改正案の決定をどうしたら阻止することができるかの方がはるかに大切なのではないだろうか。
自民党の新憲法草案をみれば明らかに危険な憲法改正であることは明らかである。もしそのようなものが憲法改正案として衆参の3分の2の賛成を得て発議されることがあるとすれば、それが問題なのである。国民投票法に反対した勢力が阻止しなければならないのは、そのことである筈だ。そのような憲法改正案が発議されるような状況では、仮に今回いかに理想的な国民投票法を作ったとしても、その国民投票法そのものが改悪されるであろう。私たちが問題にしなければならないのは、おかしな憲法改正案が衆参で3分の2の賛成を得て発議されるのを阻止することである。
繰り返すが、自民党などが意図する憲法改正に反対の立場にある者がいましなければならないことは、彼らの憲法改正案が衆議院と参議院で3分の2の賛成を得て可決成立されることを阻止することである。そしてそれはそんなに難しいことなのであろうか。このような不安を多くの人が抱くのは、民主党の憲法改正に対する態度がいまひとつハッキリしないことにある。民主党でも憲法改正は必要だと考える議員がかなり多くいるなどというアンケートがある。そうすると憲法改正案が衆参で3分の2の多数を得ることは十分に考えられる。
いま問題なのは、憲法改正の一般的な是非ではないのだ。憲法に改正手続がある以上、現在の憲法をさらに良い憲法にするために改正することそれ自体を否定する者はいないであろう。そんなことが問わているのではないのだ。問われているのは、自公合体政権が行おうとしている憲法改正案に対して賛成なのか反対なのかということなのである。自公合体政権が行おうとしている憲法改正案に賛成の民主党議員がいるのであれば、そのことが問題なのである。民主党はそのことを早晩ハッキリとせざるを得なくなるだろう。またしなければならない。自公合体政権が行おうとしている憲法改正案に賛成だという議員を曖昧にしているようでは、民主党という政党はいったい何なのだという疑問を多くの国民が抱くようになるのは当然である。
安倍首相と自民党は、憲法改正の是非を今度の参議院選挙から国民に問うという。彼らが問おうとしている憲法改正は、一般的な憲法改正の是非ではないのだ。自民党新憲法草案に示されているような憲法改正なのである。それに賛成なのであれば、ハッキリと賛成といえばいい。民主党を支持する多くの人は、きっとノーというであろう。公明党はなんだかんだといっても、結局は自民党憲法草案に賛成するのであろう。すべての政党や政治家が最後は憲法に対する態度を明らかにしなければならなくなる。そういうことを曖昧にできなくなったのが、今回の国民投票法が成立した政治的意味である。こういうことを考えていたので、私は憲法改正問題講座をいま著しているのである。ぜひご高配を賜りたい。
それでは、また明日。