右翼反動政治家の特質
07年04月30日
No.411
連休3日目である。今日も昨日につづいてほぼ全国的に良い天気のようである。旅行中の人には何よりであろう。昨日、私は午前中は予定どおり原稿書きに励んだ。午後壊れたデジカメの修理をお願いするため保証書をもって渋谷に出かけた。そしてあまりにも爽やかな天気だったので、そのまま私も連休気分になった。もう家に帰って仕事をする雰囲気にはなれなかった。結果そのまま渋谷で遊んでしまった。新緑が綺麗であった。デジカメが手元にないのが残念であった。
安倍首相が訪米中に従軍慰安婦について謝罪したことにビックリした人が多いのではないか。度重なる憲法改正発言、靖国神社参拝の有無を明言せずとの発言、教育基本法改正と愛国心重視の発言、従軍慰安婦には狭義の強制はなかったとの発言、沖縄戦における集団自決を否定する発言、集団自衛権の見直しのための有識者懇談会の発足などどれを捉えても、安部首相の政治姿勢は明らかである。彼は村山談話などの戦争についての反省を自虐史観とあざ笑ってきたのだ。過去の戦争に対する国会決議の際には、自虐史観に基づき反対をして欠席したのである。安倍首相は確信的な右翼反動思想の持ち主なのだ。
その安倍首相がなぜアメリカにおいて従軍慰安婦問題で謝罪をしなければならないのか。またなぜアメリカに対して謝罪をしたのか。誰だっておかしいと思うだろう。小泉首相以上に反中国だった筈なのに、最初の外国訪問に中国・韓国を選んだ理由は何だったのだろうかということもこの際思い出してほしい。この二つは実は安倍首相および最近元気付いている日本の右翼言論人のもう一つの特質を表わしているからだ。それは“従属的思想”ということである。
従属的思想とはどのようなものであろうか。独立自尊の気概がないということである。彼らの発言を聞いていると一見独立自尊の精神が強いように錯覚させられる。しかし、彼らの本質は決して独立自尊ではなく、強いものに対してきわめて従属的であるところにその本性があるのである。日本においては権力者に対してである。長い間政権党である自民党に対してである。細川内閣のとき、私は細川首相の1億円疑惑を追及したがその際右翼的な集団からずいぶんと脅しをかけられた。なぜ自民党のためにやっているのにそういう人たちから脅しをかけられるのかと怪訝に思ったが、そのような特質からみればごく自然なのことなのである。
現在安倍首相とともに右翼的言辞を盛んに弄んでいる言論人も、自民党が野党だった時代に決して自民党を擁護したり支持する発言をしてはくれなった。細川内閣を支持したり、様子見をしていた人たちばかりだ。野党になった自民党を“叱咤”激励をしてくれた言論人は、ごく僅かであった。少なくとも最近元気付いている右翼的言論人の中にはいない。まさかのときの友こそ真の友であるという諺を私たちは忘れないようにしよう。かつての新進党から自民党に移ってきた政治家に対しても警戒が必要である。彼らは権力党にいたいだけの政治家なのだ。それ以外に自民党に移る理由はない筈である。
強いものに対する従属は、国際的にみるとアメリカに対する従属となる。安倍首相の祖父である岸信介元首相にはCIAの影がいつも付き添っていると考えられ、自民党の政治家でさえ警戒感をもっていた。それがまともな自民党の政治家だった。日米安保条約は、専守防衛のために必要悪として認めるという姿勢だった。いまの安倍首相たちの“日米同盟”という言葉にはこういう姿勢や考えを微塵も感じることはできない。私たちにはアメリカという“強い親分”がいるんだぞと粋がっている若いアンちゃんと少しも変わりがない。私は“日米同盟”などという言葉を安易に使うことに強い違和感がある。長い間使ってきた“日米友好関係”でなぜいけないのだろうか。日米同盟ということに関しては別の機会にもう少し詳しく述べてみたいと思っている。
以上を要すれば、こういうことである。中国や韓国を最初の訪問国に選んだのは、アメリカから中国と韓国の関係を修復するようにいわれたからであろう。アメリカの思惑は、日本の右翼反動政治家の考えとは明らかに異なるからである。アメリカのネオコンでさえ、もっと現実的でありプラグマティックなのである。私が安倍首相の考えをアナクロニズムの右翼反動思想とよくいうのは、国際的な現実を解せず日本の国益を真に考えようとしていないと考えるからである。アメリカの議会などで安倍首相が従軍慰安婦問題を謝罪したことを日本の右翼的言論人がどういうのか、私たちは注目しよう。
それでは、また明日。