舛添問題のバカ騒ぎは、何なのだ。
16年06月08日
No.1832
昔は単に“ワイドショー”と呼ばれていたが、最近ではわざわざ“情報ワイドショー”などと呼んでいる放送局もある。中身は、昔のワイドショーと同じく芸能ネタが主であるが、政治ネタもかなり積極的に取り上げられる傾向がある。昔、この種のワイドショーで政治が取り上げられると、政治に大きな影響を及ぼすことが多かった。普段あまり政治に興味を示さない人が、そのテーマについては高い関心を持っているからであり、多くの国民の関心事であるという証左だったのだ。
こういう番組が政治を取り上げることに、私は豪も反対するものではない。むしろ、好ましいことだと思ってる。しかし、どのような番組であろうが、政治をテーマに取り上げる以上、放送法が定めている放送基準をチャンと守って欲しいと思っている。この種の番組では、どうもその辺のことが守られているとは思えないのだ。
それにしても、ここでいう“ワイドショー”あるいは“情報ワイドショー”の舛添要一東京都知事に関する報道(以下、マスゾエ問題といおう)は、いったい何なのであろうか。バカ騒ぎといってもよいだろう。伊勢志摩サミットもオバマ大統領の広島訪問に関する報道もバカ騒ぎだったが、それが終わると、今度はマスゾエ問題の“バカ騒ぎ”だ。
私は舛添要一氏を擁護するつもりなど、豪もない。私は、個人的に舛添氏からとんでもない酷い仕打ちを受けた。その怨みを忘れるものではない。舛添氏は人間性に多くの問題があることを、私は知っている。だから、先の東京都知事選で、私は細川護熙氏を応援したのだ。だが今、ここでは私は、マスゾエ問題を取り上げる場合の政治的バランスを問題にしているのだ。
マスゾエ問題は、東京都知事の政治資金に関することであるから、政治問題であるのは確かだ。しかし、政治家とカネの問題であるなら、甘利前TTP担当大臣のカネの問題はどうなのだろう。東京地検は甘利氏を不起訴処分にしたが、それは果たして妥当なのだろうか。それ以外にも、政治資金の問題ある使い方は、山ほどある。それらを一切問題にせずに、延々とマスゾエ問題をこれだけ執拗に取り上げるのは、いったい何故なのであろうか。
政治一般を取り扱うならば、いま最大の政治テーマは、参議院選挙であろう。にも関わらず、マスゾエ問題をこれだけ派手に取り上げるマスメディアの狙いは、いったい何なのだろうか。いつもの偏向ぶりを考えれば、何か意図があると思う方が自然であろう。マスメディアがマスゾエ問題でバカ騒ぎしているのは、ハッキリ言って参議院選挙から国民の目を逸らすのを狙っているからだと、私は思っている。
マスゾエ問題を突き詰めて考えれば、「いったい誰が、舛添東京都知事を誕生させたか」に行き着く筈である。誰かが“製造者責任”と言っていた。舛添東京都知事を誕生させたのは、自公“合体”政権以外の何者でもない。マスメディアは、東京都知事選で安倍首相と山口公明党委員長が舛添氏と一緒になって演説している映像を、どうして流さないのだろうか。マスゾエ問題のバカ騒ぎには、どうも官邸の意向も動いているようだ。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。