憲法改正を叫ぶ輩は、右翼反動。
16年05月03日
No.1826
南無昭和憲法居士としては、憲法記念日に永田町徒然草をネグレクトすることなど、本来できない筈である。実は、今度の憲法記念日にupdateしようとしていたものがあった。ところが、やむを得ない事情で、昨日から出張せざるを得なかった。でも、私はどこでもインターネットに接続できるツールを持っているので、昨晩の仕事として、その作業をやるつもりだった。
少々重くなったが、荷物にパソコンを入れて出かけた。仕事が終わり、「さぁ、作業だ」と思った。ところが、マウスがなかった。マウスがなくても、一応は動かせるパソコンだが、それには慣れていないので、永田町徒然草をupdateするのは到底無理であった。だから、昨晩のupdateは断念した。日程を少し切り詰めて、午後7時頃に東京に帰って来たので、今日中のupdateを目指して、いま書き始めたところだ。
いまの憲法、すなわち日本国憲法(以下、昭和憲法という)が施行されて、ちょうど満69年となった。昭和憲法が公布されたのは、その半年前の昭和21年11月3日。終戦が昭和20年8月15日だから、敗戦・ポツダム宣言の受諾から2年もたっていなかったのだ。これを捉えて拙速という輩もいるが、革命とはこんなものである。昭和憲法の公布と施行は、まさに革命だったのである。
どういう革命かというと、大日本帝国憲法(以下、明治憲法という)の価値観を昭和憲法の価値観に変更するという、大転換だったのである。形式は、明治憲法の改正手続きで行われたが、その内実は明治憲法の価値観を否定し、全く新しい価値観に基づいた憲法だった。だから、憲法学者の中には、「これは、憲法改正でない。新しい憲法の制定であり、明治憲法と昭和憲法の法的連続性は認められない」という説があるくらいだ。
昭和憲法の成立は、太平洋戦争(第二次世界大戦)にわが国が敗北し、ポツダム宣言を受諾した事実を抜きに語ることはできない。そのポツダム宣言の中に、明治憲法的価値観を昭和憲法的価値観に改めることが明記されていたのだ。それでは、昭和憲法的価値観の内実とは何か。ひとつは、国民主権である。もうひとつは、自由主義的思想である。そして、憲法9条の平和主義 ─ すなわち、軍国主義との決別と戦争放棄だったと、私は思っている。
憲法制定議会は、昭和21年4月に実施されて、衆議院選挙(女子にも初めて選挙権が与えられた)で選出された衆議院であった。焼け野原の中にポツンと立つ国会議事堂の中で、憲法制定の議論が熱く交わされたのだ。GHQから提示されたマッカーサー草案に大きく影響されたことは否めないが、それを土台にしたとしても、昭和憲法を作ったのは、その時に存在していた衆議院であったのだ。押し付けられた憲法という非難は、当たらない。
革命的に変わったのは、憲法の条文だけではなかった。明治憲法で形成され定着していた社会実態を、昭和憲法で定められたように変革することが、実はいちばん重要なのである。それはまさに、凄まじい闘いであった。社会のあらゆる分野で、そのような闘いが繰り広げられたのである。私が物心ついた昭和27~28年でも、そのような闘いは、あらゆる分野で現に行われていた。
古い価値観に基づく実態と新しい価値観に基づく実態の区別は、子供ながら分かった。古い価値観にも基づく勢力は、やはり大きな力を持っていた。これに挑む新しい価値観に基づく勢力が敗北していくのを、私は数限りないほど見てきた。それでも、新しい価値観に基づく勢力は、人を変え形を変えて闘いを挑んでいった。古い価値観に基づく勢力・実態が劣勢になり、新しい価値観に基づく勢力・実態が社会の大勢を示すようになったのは、昭和40~50年頃だったと私は思っている。
憲法は、いかなる条文があるかだけが重要なのではない。「その条文を根拠にして、いかなることが争われて、結局はどのようなところで決着したのか」ということが重要なのだ。ドイツの法学者ルドルフ・フォン・イェーリングが力説した「権利のための闘争」が、憲法の内実を決定づけるのである。昭和憲法の敵は、いつも存在した。日本国民は、いつもこの敵と闘ってきた。全部勝ったとは言えないが、まずまずの闘いをしてきた。そして、わが国では昭和憲法の価値観が大勢となってきた。
この状況を苦々しい思いでみてきた勢力が、右翼と呼ばれる人々である。さまざまな理由付けをするが、この勢力は、要するに昭和憲法的価値観がわが国の主流となることを拒否しようとしているのである。そのために、権力を使ってあらゆることを画策してきた。しかし、多くの国民は、彼らが主張する明治憲法的価値観を好ましいと思わなかった。戦後の憲法史を見れば、それは、多くの国民が昭和憲法を支持してきた歴史であった。
国際的にみても、昭和憲法は世界でも最も自由主義的な憲法である。自由主義の歴史的総括に堪える、正しい意味におけるリベラルな憲法である。その典型として挙げても良いのが、「昭和憲法25条1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2項 国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」であろう。
結論的にいえば、昭和憲法は戦後の闘いの中で、わが国のあらゆる分野で定着してきたのである。多くの国民は、これを好ましいことだと考えている。昭和憲法は、条文でもそれを理想としている。これを是として守るのが、正しい意味における保守である。しかし、わが国で保守と自認する自民党の一部がこれを非として、明治憲法的価値観を取り戻そうとしている。そういう考えは、本来保守とはいえないのだ。正しくは、反動というべきなのだ。これを煎じ詰めて、“右翼反動”というのが正しいのだ。
この右翼反動の政治を行っているのが、安倍首相を先頭にしている自民党であり、これに追随している公明党である。この二つの勢力が作っているのは、自公“合体”政権である。安倍首相を先頭にする自公“合体”政権は、来るべき参議院選挙で、彼らの野望を果たそうと狙っている。昭和憲法は、誕生以来最大の危機に瀕している。国民は団結して、この危機を
それでは、また。