“一億総白痴化”番組の蔓延
16年01月23日
No.1808
いよいよ、通常国会の本番が始まった。安倍首相の施政方針演説を聞いたが、まるで選挙演説のようだった。それに、山ほどいる自民党議員が熱狂していた。安倍首相は、得意の“一億総活躍社会”を、何かにつけて叫んでいた。いったい、“一億総活躍社会”なるネーミングを付けたのは、誰なのだろうか。安倍首相自身が考え付いたものとは思えないが、彼が本気で望んでいるのは、“一億総白痴化”社会なのではないだろうか。
一億総活躍社会というキャッチフレーズが出てきた時に、何人かの識者やコメンテーターが、「“一億総動員”とか“一億総懺悔”などを連想する」と言っていた。残念ながら、大宅壮一氏の“一億総白痴化”を挙げる人は、ほとんどいなかった。しかし、安倍首相の“一億総活躍社会”のテレビ会見を聞いた時、私が最初に想起したのは大宅壮一氏の“一億総白痴化”であった。
大宅氏と違い、私は、テレビをそんなに劣ったメディアとは思っていない。テレビの圧倒的な情報量は、とても文字の
これは、あらゆるメディアについて言えることだが、権力にはメディアを操作する力がある程度あることを、忘れてはならない。特に、テレビというメディアは、権力者が最も操作しやすいメディアなのである。この特性に乗じて、安倍首相ほどテレビというメディアを支配しようとした権力者はいない。メディア支配は、あらゆる権力者が狙うところである。しかし、自由主義社会では禁じ手なのである。
安倍首相は貪欲に、その禁じ手に挑戦してきたのである。表現の自由は、自由主義社会の命である。しかし、自由主義者でない安倍首相には、“表現の自由という価値観”などないのである。安倍首相にとって、自分が行おうとすることに反対する者は、悪なのである。悪を撲滅するためならば、自由主義社会の命である表現の自由を侵すことも、善なのである。かくして、安倍内閣のメディア介入が始められた。
安倍首相はマスメディア支配を始めたが、本来ならばこれと真っ向から闘わなければならないマスメディアの所有者は、これと迎合する道を選んだ。この迎合はマスメディアの自殺行為になるのだが、わが国のマスメディア所有者は、非自由主義者という馬脚を現した。これが、わが国のマスメディアをめぐる、悲しいが冷徹な現実なのである。彼らが目指すものは、“一億総白痴化”なのである。
大宅壮一氏が指摘した“一億総白痴化”は、別の意味であった。しかし、現在進行している事態は、安倍首相とその仲間が、政治的かつ意図的に進めている“一億総白痴化”なのである。番組の偏向などという生易しいものではない。私に言わせれば、“一億総白痴化”番組なのである。私たちが時どき目にする北朝鮮の放送と、同列なのである。私は、そう思ってテレビを見ている。
安倍首相とその仲間は、私たちを“白痴化”させようと狙っているが、そう簡単に“白痴化”されて堪るか。まともなジャーナリストが次々にマスメディアから排除されつつあるが、「テレビが報道する“事実”を読み解き、私たちは何を為すべきか」に思いを馳せなければならない。この永田町徒然草が、その一助になるように努めたいと思っている。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。