スー・チー氏の勝利を祝う。
15年11月12日
No.1793
昨日の夜のニュースあたりから、報道は「スー・チー政権の誕生は確実」と打っている。選挙管理委員会の正式な発表はまだのようだが、現政権側も敗北を事実上認め、円満に政権を委譲する意向を表明している。前回の永田町徒然草で述べたように、長い間ミャンマーの民主化に関心をもってきた者の一人として、アウン・サン スー・チー氏とミャンマー国民の不屈の闘いに敬意を表すると共に、心からお祝いを申し上げる。
わずか1日の違いだが、私は、この事を早く知りたかったのだ。だから、怒って前回の永田町徒然草を書いたのである。これは私の予想だが、日本のマスメディアは、ミャンマー民主化とその歴史については、あまり報じないだろう。しかし、読者諸氏には出来るだけ関心を持って、ミャンマーの政治の動きをフォローして頂きたいとお願いする。私も、機会ある毎に、ミャンマーの動きについて述べたいと思う。
2011年8月14日、ビルマのバゴー州で支援者と挨拶するビルマの民主化指導者アウン・サン スー・チー氏。当時、2012年初め開催予定だった連邦議会補欠選挙に立候補する意向を示して彼女は「非暴力の市民抵抗に魅了された」と述べた。
Aung San Suu Kyi greeting supporters from Bago Region on 14 August 2011.
Photo: Htoo Tay Zar
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軍隊の力が非常に大きいミャンマーにおいて、ミャンマー国民の民主化の戦いは、とても厳しいものが多かったと、想像に難くない。それは、自公“合体”政権に対する戦いの比ではなかろう。しかし、ミャンマー国民は不屈に戦い、これに打ち勝ったのだ。これからも、いろいろなことが起こるだろう。革命の道は、なかなか一筋縄ではいかないものだ。
わが国でも、来年の参議院選挙をはじめとして、自公“合体”政権との戦いを始めなければならない。そして、多くの国民と政党が、その気で動き始めている。しかし、その道のりも、そう簡単には進んでいかないだろう。そんなのは、当たり前のことなのだ。政権側は、あらゆるところに工作者・間諜(スパイ)を放っている。それを見抜き、誤ることなく進んで行かなければならないのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。