それでも地球は丸い。
14年05月15日
No.1669
安保法制懇の報告書の提出を受けて、6月15日午後6時から行われた安倍首相の記者会見を見た。安倍首相は、憲法というものを全く理解していないことが分かった。憲法9条の意味も、全く分かっていないようだ。憲法改正を主張する安倍首相だが、そもそも憲法をほとんど理解していないことを自白してしまった。憲法を正しく理解していない者に、勝手に憲法を改正されたのでは、いったいどのような憲法ができるのだろうか。
安倍首相が「集団的自衛権の行使に関する、これまでの憲法解釈を変更する必要がある」として挙げたほとんどの事例や理屈は、これまでの政府や憲法学者の憲法9条の解釈として、ほとんど解決済みの問題ばかりである。安倍首相が「こんなことができないとしたならば、あまりにも不条理ではないですか」と一々例を挙げて言ったことなど、そもそも、憲法9条の問題ではないことばかりなのだ。
集団的自衛権の行使に関するこれまでの政府解釈を変更すると大々的に打ち上げた今回の騒動だったが、要するに、中身のない一人芝居に過ぎないことが明らかになった。安倍首相とその仲間が、歪んだ目で憲法9条を見ても、その解釈を変更することなどできないのだ。憲法9条の平和主義を安倍首相やその仲間の偏見で変えるなど、愚かで危険極まりない。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し(憲法前文)」、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する(憲法9条1項)。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない(同2項)。」と定めた日本国憲法は、正しいし賢明である。歴史の試練にも耐えてきた。
この憲法がある限り、「集団的自衛権の行使を認められないとする憲法解釈」は正しいし、賢明である。集団的自衛権の行使が認められるか否かは、YesかNoのどちらかなのだ。「集団的自衛権の行使も、限定的ならば認められる」などというマヤカシの屁理屈は、憲法論としてあり得ないのだ。憲法9条がある限り、集団的自衛権の行使は憲法上許されないし、それを守ることがわが国の国民を守り、平和と繁栄を築く礎である。私はそう断言する。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。