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改憲派が目論む自衛軍の想定像

13年06月09日

No.1580

“自衛軍”の創設を明記する新憲法草案

わが国に存在する軍事組織である自衛隊とは、いわゆる軍隊であるのか、軍隊でないのか。憲法改正により自衛隊は軍隊になるのか、それとも軍隊にはならないのか。自民党の新憲法草案は、現在の自衛隊をどのようなものにしようというのか。念のため第9条関係だけみてみよう。

第2章   安全保障

第9条(平和主義)

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第9条の2(自衛軍)
  1. 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。
  2. 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
  3. 自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
  4. 前2項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

昭和憲法とどこが違っているかというと、まず章の表題が「戦争の放棄」から「安全保障」に変わっている。次に第9条2項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が全文削除され、その代わりに上記「第9条の2(自衛軍)」が新設されているのである。

憲法改正を公然と主張した小泉首相

自民党の新憲法改正草案をみただけでは、自衛隊のどこがどう変わるのか、よく理解できないであろう。昭和憲法には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるが、現実には陸海空の自衛隊が存在している。現実に合わせるためにこの条文を変えるだけなのだといいたいのだろう。

それではなぜ“自衛隊”という国民に馴染みのある名称を放棄して“自衛軍”としたのだろうか。本当は軍隊としたかったのかもしれないが、さすがにちょっと自信がなかったのだろうか。この問題は、言葉をみただけでは判らない。“自衛隊”、“自衛軍”、“軍隊”という言葉が、いったいどのような 実態をもった軍事組織を想定しているのかを分析・判断しないと単なる言葉の遊びになってしまう。

私が本稿で明らかにしたいのは、いまわが国にある自衛隊という軍事組織の特徴や特質である。国民が合憲と判断しているのは、現実に存在しているこの自衛隊だからである。

このことに関して、私には忘れられないことがある。小泉純一郎氏が首相に就任した直後の記者会見で、

「自衛隊は、誰がみたって軍隊でしょう。その自衛隊が現に存在しているのに“陸海空軍はもたない”などという憲法がある。おかしいでしょう。憲法は改正する必要がある」

という趣旨の発言をしたことであった。

昭和の時代(1989年まで)だったら 、この発言だけで小泉氏の首は間違いなく飛んでいたであろう。ところがこの発言はほとんど問題にされなかった。小泉フィーバーなるものに野党もマスコミも度肝を抜かれてしまって、事の重大さを見過ごしてしまったのだろうか。それとも平成も10年余が経過すると昭和が遠くなったということなのか。“昭和”が遠くなるのは仕方ないことであるが、昭和憲法までおろそかにするのは許されることではない。昭和憲法は、“日本国”憲法なのである。

第9条2項の重い縛り

小泉首相の「自衛隊は、誰がみたって軍隊でしょう」という発言を憲法9条をめぐり丁々発止と論争した与野党の歴戦の国会議員が聴いたら、飛び上がったであろう。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法の下に存在する軍事組織である自衛隊は、いろいろな面で特殊な軍事組織なのである。確かに自衛官の服装や装備などをみると他の国の軍隊のそれと同じようにみえるが、それは子供じみた見方・見解としかいいようがない。最近の警備員のスタイルは、ちょっと見たところ警察官と見間違うくらいだ。子供が見たら警察官も警備員も同じだと思うだろう。これと同じ類の見方・見解なのである。

警察予備隊を創設するときから、創設しようという軍事組織は憲法に違反するのではないかということが常に問題となった。そこで大きな意味をもったのが、9条2項の「前項の目的を達するために」という文言であった。前項の目的とは、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ということである

憲法の論理は、禁止されているのは「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使」であり、自衛のための戦争は否定しないが、軍隊をもっていると意に反し結果として戦争になることもあるので、戦力を保持しないことにするというものである。吉田首相が憲法制定議会で「正当防衛や防衛権による戦いを認めることは、戦争を誘発する有害な考えだ」と答弁したのは、このような論理からであろう。

その吉田首相自らがGHQの指令があったとはいえ、警察予備隊→保安隊→自衛隊を創設することになる。しかし、この「前項の目的を達するために」という条文は最初から今日まで確りと生きている。それは、わが国が保有する軍事組織は、あくまで自衛のために保持していることである。「専守防衛」の軍事組織であるということである。

「専守防衛という概念」の確立

戦後の9条論争は、憲法の文言どおりの戦力不保持を貫こうという考えと、自衛のための軍事組織は憲法に違反しないという考えの激突であった。しかし、どちらも自衛のための武力行使以外は認めていないという点において一致している。その結果、専守防衛という概念が生まれた。

これは単なる標語の終らなかった。年々の予算審議などの場において、専守防衛に反するあるいは専守防衛に必要ない装備や武器であるかないかが真剣に議論された。わが国の防衛予算は年々増加してきたが、この原則だけはかなり厳格に守られてきた。

例えば、海上自衛隊は航空母艦をもっていない。わが国の防衛予算で航空母艦をもつことができない訳ではない。しかし、保持しないのである。それは、専守防衛という立場からは必要ないという考えからであった。またわが国は迎撃ミサイルはもっているが、航続距離の長いミサイル例えば大陸間弾道弾などはもっていない。

核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器も専守防衛という観点から許されないと解されている。核兵器の抑止力は、専守防衛という考えと相容れないと考えられている。

集団的自衛権ということで、わが国が現に攻撃されていないのに他国の軍隊などを攻撃することは専守防衛という観点から許されないとする見解は正しいであろう。安倍首相はこの集団的自衛権についてどういう場合には許されるのか検討するといっているが、要注意である。

わが国の自衛隊が、専守防衛のための軍事組織であることは事実であるし、国民はそうであると確信しているから自衛隊を憲法違反の存在とは考えていないのであろう。アメリカとイギリスの軍隊は、2003年3月イラクに侵攻した。もし国連の別の議決などがあって、もっと多くの国々がイラクに軍隊を侵攻させることになったとしても、わが国の国民は自衛隊が他国の軍隊と一緒になってイラクに侵攻することを支持するとは思わない。わが国の国民は、自衛隊が海外に行くことには非常に懐疑的である。それだけ専守防衛ということにこだわっているからだと私は思う。

軍法会議と軍刑法

わが国の防衛問題を論ずる際に、忘れてはならないのは戦前のわが国の軍隊に対する認識・反省というものを抜きにしてはならないということである。
 私は、昭和20年生れである。物心ついたころから大人たちが戦争体験について話し合うのを直接聞いて育った。ごく年配の人を除けばほとんどの男の人は、直接間接に日中戦争や太平洋戦争に軍人として参加していた。 彼らが語る戦争体験は、軍隊体験でもあった。

“軍隊”の存在は、日本人にとっても大きなものだった。“軍隊”は、諸外国の人民に被害を与えただけでなく、日本人にも重く圧しかかった存在であった。私は、彼らが語る軍隊体験談を通じて、軍隊というものがどのようなものであったか知った。“日本の軍隊”は、日本国民からも決して好感をもって受け容れられていなかったのである。いや国民にとっても恐ろしい存在だったのである。

政府が警察予備隊を創設するにしても、自衛隊に昇格させるにしても、それが軍隊でないことを強調しなければならなかったのは、単に戦力不保持の憲法の要請からだけではなかったのだと私は思う。

戦争それ自体が、非人間的なものである。戦争の実行組織である軍隊が、非人間的になるのはやむを得ないことなのであろう。軍隊の軍人に対する非人間的扱いの根拠になっているのは、軍刑法と軍法会議(軍事裁判所)の存在であった。

昭和憲法が第76条で
「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない 」
と定めたのは、軍法会議と行政裁判所の廃止を明らかにすることであった

「軍事裁判所」の設置を明記

自民党の新憲法草案第76条3項には
「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところ により、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」
とある。

一応最高裁判所を頂点とする司法体系に矛盾しないように装ってはいるが、実際に動き出せばこれは必ずかつての軍法会議と同じようなものとなるだろう。そして自衛軍を規律するために軍刑法も新しく制定することになることは必然である。ちなみに明治41年に制定された陸軍刑法・海軍刑法で罰せられる罪名とその最高量刑は次のようなものである。

罪名犯罪例最高量刑
抗命上官に対する反抗・不服従敵前では死刑
逃亡戦線離脱・利敵行為敵前では死刑
損壊軍用の武器・機材の破壊死刑
違令規律違反・造言飛語など懲役・禁固5年

現在の自衛隊法第123条でも、右記の抗命や逃亡にあたるものが罰せられることになっているが、その最高刑は7年以下の懲役であり、万引きを罰する窃盗罪(10年以下の懲役)よりも軽い。こんなことを“愛国者”たちが許るせる筈がない。

必ず制定されることになるであろう自衛軍を律する軍刑法では、かなり重い刑が定められることは疑いない。ちなみに北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんの夫・チャールズ・ジエンキンス氏が、アメリカの軍刑法によって問われた逃亡・利敵行為などの罪の最高刑は、銃殺刑であった。

自衛隊と自衛軍は、似て非なるもの。

この他に私が気になるのは、冒頭に紹介した自民党新憲法草案の第9条の2の第3項である。

「自衛軍は、第1項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。」

と書かれてある。

「法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」とは、海外における国際貢献活動であることは明らかであるが、日米同盟ということを信じて疑わない自公合体政権では、それは即アメリカ追従の軍事行動になる可能性は極めて高い。

「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」は、いわゆる戒厳令下における軍の活動を想定しているのではないか。「法律の定めるところにより」の“法律”など、現在のように自公合体政権が衆議院で3分の2の議席をもっている状態では、どのようにでも作られる。

“具体的状況における具体的分析”の能力が政治の質を決める。以上は、憲法の観点から自民党などの憲法改正論者の平和主義をみた訳である。わが国に対する侵略(戦争)は、政治の最終形態として起こるのである。軍事が大きな要素であることは否定しないが、わが国をめぐる諸情勢や国際的な諸関係が他国のわが国に対する侵略の有無を決する。他国のわが国に対する侵略は、軍事的な優劣だけで起こるものではない。
 その意味でわが国の安全保障政策は、文字通り“総合的な安全保障政策”でなければならない。

* この小論は月刊誌『リベラル市民』平成19年5月号に掲載されたものである。

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  • 13年06月09日 09時18分PM 掲載
  • 分類: 5.憲法問題

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