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東日本大震災報道・考

13年03月17日

No.1560

東日本大震災から、2年。先週は、いろいろな局で特別番組が組まれていた。できるだけ、それらを見るようにしていたが、その中に、深く考えさせられされた番組が、幾つかあった。東日本大震災は、やはり、1000年に一度あるかないかの大災害であったことだけは、間違いない。1000年に一度とする理由は、西暦869年の貞観地震である。その記録は、平安時代の歴史書「日本三大実録」にあるという。

いまから1000年後に、東日本大震災はどのように記録され、それを見た人たちはどのように捉えるのであろうか。私たちの多くが目にした、あの大津波の恐怖。大津波で破壊された、惨憺たる街並みと、建物等の工作物。そして、瓦礫の山。そうした映像は、1000年後といえども、多くの人々の胸に訴えるであろう。だが、それは記録映像に過ぎない。後世の人々に訴えるのは、この大災害から私たちが何を学び、どう立ち上がっていったかということであろう。

今回の東日本大震災の特番で、私がいちばん考えさせられた番組は、テレビ朝日の報道ステーションであった。古舘伊知郎が、現地から具体的問題を取り上げて報道していた。未消化の問題提起ではあったが、私たちがいま考えなければならないことを、真正面から取り上げていた。1000年に一度あるかないかの問題だから、未消化になるのは当然であろう。しかし、重要なことは、問題を問題として考え抜くことの大切さである。

私が見た番組は、防潮堤問題と放射能除染問題を取り上げた2回だけであった。しかし、それらは非常に重要な問題である。そして、これらの問題をどう考え、どうしたかは、100年後いや1000年後といえども、大きな意味をもつ。日本人だけでなく、外国の人々も関心を示すであろう。防潮堤に関しては、いかなる大津波にも耐え得る大防潮堤を築いた街もあったが、あっけなく乗り越えられてしまったという報道を、当時、私たちは見たはずである。

災害と私たちがどう向き合うかという問題は、もちろん大切である。日本という国は、どこで大きな自然災害が起きようが、科学的根拠があり、言うならば、想定内の出来事である。しかし、科学は、残念ながら、その時期と災害の規模を予測できるほど進展していないのである。これは、日本という国の問題だけではない。どの国でも、多かれ少なかれ言えることなのである。それにしても、日本という国の自然災害に遭遇する確率は、他国に比べて多い…それだけは、確かだ。

私は、東日本大震災を、当時「3・11大災害」と呼んだ。3・11大災害は、大地震と、それが惹き起こした大津波と原発事故であった。大地震の被害は、阪神淡路大震災と中越地震を見ている私には、それなりの予想があった。しかし、大津波が惹き起こす被害は、私の知るところではなかった。また、原発事故の被害も、私は知らされていなかった。大地震と大津波の被災地の復興は、私たちでも、それなりに想定はできる。だが、原発事故被害の回復・復興については、私たちは、想定することさえできない。

想定できないことを考えるのは、非常に困難である。だが、原発は人間が造ったものであるから、原発事故の被害やその回復・復興は、嫌でも私たちが考えなければならない。それもしないで、原子力発電を継続するのは、「愚かなこと」と、将来の人々にはみえるだろう。安倍首相は、この問題からもうあっさりと逃げている。世界でも、ほとんどの国々がこの問題から逃げている。しかし、私は、この問題に拘っていかなければならないと思う

私たちが映像で目にした、あの瓦礫の山。同じような瓦礫の山の映像を、3・10東京大空襲や、広島・長崎の原爆投下でも見てきた。この前、ふと3・11東京大空襲のことが頭を過った。そして、東京の復興に想いを抱いた。昨夜NHK総合で「広島の復興」という番組が放映された。1時間10分の番組であったが、私は最後まで見た。どちらも自然災害ではないが、そこからの復興は、庶民にとっては同じであった。

原発事故の方は、まだ復旧の段階にも至っていない。大津波の方は、復旧から復興に移らなければならない段階なのだが、その歩みは少し遅いように思う。政治力の劣化だと、私は思う。復興予算にあやかって、東日本大震災と直接関係ないところに予算を使ったという報道は、多くの国民の怒りを買った。こういうことを平気でやるから、官僚不信が大きくなるのだ。行政改革は大事だが、綱紀粛正も非常に重要である。

昨日、靖国神社の桜が開花し、東京でも開花宣言があった。景気が回復しているという報道が、日々ある。ウキウキしたいところだが、私たちは、眼前や足元で進行している実態を、直視しなくてはならない。私たちが目にしたり、実際に体験できることが、“実体”なのである。その実体の積み重ねが、“実体経済”なのである。私が日々目にしている実体は、決して楽観できるものではない筈だ。

まとまりのない文章になったが、今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。

  • 13年03月17日 01時15分AM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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