我々が「人民」だ。
09年11月24日
No.1351
昨日、NHK-BS放送だったと思うが、ライプチヒの平和の行進についての番組があった。それは、ベルリンの壁崩壊の1ヶ月前にあった、東ドイツの市民運動であった。この事件後ホーネッカー国家評議会議長は退陣を余儀なくされ、ベルリンの壁は崩壊した。この運動の指導者たちは、あくまでも平和的手段に拘った。政権打倒などとは言わずに、“国民との対話を”をスローガンにした。そして、体制側の人間も「我々が“人民”である」という民衆に逆らうことはできなかった。
この前後、ソ連の影響下にあった東ヨーロッパの国々では同じような動きがあったのだろう。東ヨーロッパの国々が次々と民主化され、遂にはソヴィエト社会主義共和国連邦そのものが崩壊した。ソ連共産党の支配下にあったそれぞれの国における抵抗運動は、命懸けであった。たぶん、様々のドラマがあったのだろうが、それぞれの国で比較的平穏に政権交代は行われた。当時自民党の政治家だった私は、こうした動き・運動をあまり知らなかった。それにしても、ソ連邦の崩壊は、私たちが生きた時代における最大の政治的出来事だった。
ソ連の支配下から脱した東ヨーロッパの国々では、その後、いろいろな変化を余儀なくされたと思う。そしていま、東ヨーロッパの国々の多くがEUに参加し、あるいは参加を希望している。それにしても、社会主義体制で統治されてきた国々がEUに参加するためには、革命的な体制変革が必要であろう。国民自身も価値観の転換を含め、革命的変革を余儀なくされてきたのであろう。民主化後の東ヨーロッパを訪問する機会がなかったので、私にはこの辺の事情がよく分からない。かつて、それらの国々を支配してきた社会主義政党は、一体どうなっているのか。興味津津(しんしん)である。
ところで、わが国でも革命が起きたのだが、わが国のかつての支配者はどうしているのだろうか。そして、革命を起こした側の指導者(あたらしい支配者)は何をしているのだろうか。そもそも何をしたいのだろうか。肝心要のこの辺のところが、私にはさっぱり分からない。わが国では昔から、黒白をつけることをあまり好まない習慣がある。事業仕分けをみて“公開処刑だ”といった自民党議員がいたが、所詮はカネの問題に過ぎない。それも、私物化したカネを出せと言っているのではないのだ。これからはダメよといっているに過ぎないのだ。何と体制に寛大なことか。
革命には、価値観の革命的転換が伴うものであるが、そういう感じがあまりしない。事業仕分けにしても、「予算が付けられる仕組みが分かって良かった」と、多くの人々が評価している。概算要求など、官僚が欲しいと言っている予算に過ぎないのだ。別に削減などしなくても、おカネがないといって付けなければ、それで済むことなのだ。怖いのは、予算を付けないことにより事業ができなくなり、国民から苦情や怒りが出た場合だ。
価値観の革命的転換が必要なのは、安保外交の分野も同じである。“日米同盟”を絶対視する面々には、何らの変革も期待できないであろう。冒頭で述べたように、東側陣営では革命的転換がなされたのである。わが国は、東側陣営(ソ連と中国)と隣接する地域であった。その東側陣営が大きく変わったのであるから、日米安保体制に革命的転換が起こってもごく自然なことである。冷戦下でも、日米同盟などと言わなかった。私に言わせれば、日米同盟などという概念自体がアナクロニズムとしか思われない。普天間問題など、こういう観点から捉えれば、大した問題ではないはずなのだが…。
それでは、また。