政権党の覚悟…!?
09年10月21日
No.1322
最近の民主党を見ていると、依然として野党根性を脱していないなぁ、と感じざるを得ない。“脱官僚”をしきりに強調するが、“脱官僚”は自公“合体”政権の政治を攻撃するキャッチ・コピーに過ぎなかったはずだ。自公“合体”政権の政治は、官僚に依存していた。それが自公“合体”政権の本質であり、そのことを民主党は攻撃していた筈である。自公“合体”政権が民主党政権に変わったのであるから、官僚の行うことは民主党政権に責任がある。脱官僚政治ということをいくら強調したしても、官僚たちのやることに民主党は責任を負わなければならない。なぜならば官僚組織の上に君臨し、これをコントロールしなければならない責任は民主党にあるのだから。
「民主党はこうしたいのだが、官僚たちが言うことを聞いてくれない」などということは通用しない。民主党は官僚たちの上に君臨し、これをコントロールしなければならないのだ。それが政権党の責任である。その自覚と能力がなければ、政権党とは呼べない。「官僚たちが作った予算をこれだけ削減したのだから誉めてほしい」などというのは野党的発想である。政権党は行政の行うことに全責任を負わなければならない。官僚たちがなかなか言うことを聞いてくれないので、このくらいで勘弁してほしいなどというのは、甘えである。時間を少し与えてほしいというのも甘えであろう。
なぜ野党根性かというと、行政のやることにクレームを付けるというのがわが国の伝統的な野党の政治スタイルであったからである。[“官僚行政”→“政治主導の行政”]=“脱官僚”などという区分けは、素人をたぶらかす甘言に過ぎない。政権を獲得した以上は、行政のすべてに全責任を負うのが政権党の務めである。時には天変地異に対してさえ責任を負わなければならないのが政権党の宿命である。都合のよいところだけを摘まみ食いすることは許されないのだ。寅さん風に言えば、“それが政権党のつれぇーところよ”ということだ。そんな目で最近の閣僚たちの動きをみていると片腹痛い。
今日はこのくらいにしておこう。それでは、また。