オバマ大統領誕生の幕間に
09年01月21日
No.1059
いまアメリカ大統領の就任式をテレビで見るために待っているところだ。もちろんオバマ大統領誕生の瞬間を見るつもりだが、その後どうなるかは判らない。そのまま遅く(というか、朝“早く”)まで見るかは、出たどこ勝負だ。時間は気にしないつもりだが、朝早く永田町徒然草を書くことはできない。というのは、今日は朝早く出かけなければならないからである。
そこで、幕あいの時間に永田町徒然草を書いておこう。アメリカ大統領の就任式をわざわざ心待ちに見るのは初めてのような気がする。そもそもアメリカ大統領の就任式がそんなに日本人の関心事だったことがあるだろうか。アメリカ大統領で印象的なことを述べたのはケネディ大統領の就任演説であった。多くの若い政治家がその後ケネディ大統領の演説を引用することになるが、ライブで見た人はそんなに多くいないのではないだろうか。1961年1月私は15歳だった。テレビはまだわが家にはなかった(笑)。
アメリカでも200万人もの人々が就任式に集まるのは初めてだそうだ。それだけオバマ大統領の誕生は大きな意味とインパクトをもっているのだろう。アメリカという国を少しでも知っている者ならば、オバマ大統領誕生の意義とインパクトは分かる筈である。私はあまり小賢しく分析しようと思わない。オバマ大統領誕生は、アメリカ国民が成し遂げたひとつの政治ドラマなのである。政治ドラマを受けとめるためには豊かな感性が必要である。
豊かな感性がない者が、オバマ大統領誕生の意味を語っている。そんなものはほとんど意味がないであろう。オバマ大統領誕生を熱く重く受けとめ、私たちも熱く重く対応することが重要なのである。日本とアメリカは、深い関係をもっている。だから、私たちもこれからの日米関係を熱い重い感性をもって構築し直すことが重要なのである。果たして日本人にそれができるかな。
新しい日米関係を構築することは、新しい日本観を築き上げなければできることではない。日米関係の前に、日本という国家と己の関係を問い直すことが必要である。私たちは日本という国を変えられると自信をもって言えるのだろうか。私などは自民党の中に長くいたので、一般の人より日本という国も変えることができると考えている。日本という国を形作っているのも、しょせん人間に過ぎないのだ。政治家という人間、官僚という人間、いろいろな人間たちである。こういう人間と直接対峙してきたからである。
こういう経験がないとなかなか政治とか制度を変えることができるという実感が湧かないのだと思う。しかし、政治家も官僚もしょせん人間なのだ。石のような人間はいるが、鋼のような人間などそんなにいるもではない。石のような人間など捨て去れば良いのである。鋼のような人間は、難敵だが味方にすれば力強い力となる。自公“合体”政権の政治家など石ころみたいなものである。捨て去るしかない。鋼のような人間などそんなにいる訳ではない。しかし、それを見出せないようでは新しい政権も大したモノにはならないであろう。そろそろ大統領就任式が始まる。
それでは、また。