アメリカのchange(その2)
08年11月07日
No.983
昨日の朝のニュース報道番組は、オバマ報道一色だった。ところが今朝はもうほとんどやっていなかった。昨日の昼から夜にかけてのニュース報道番組はどうだったのだろうか? 熱しやすく醒めやすいのはわが民族の特質だと言われている。これが本当かどうかは自信はないが、政治の分野については明らかにそう言えると思う。
だが、それで済まないことだけは確かである。明らかである。影響・感銘を受けたアメリカの大統領を3人挙げろといわれたら、私は躊躇なくリンカーン・ケネディ・オバマと答える。リンカーン大統領の奴隷解放に強烈な印象があるのか、“人民の、人民による、人民のための政治”という言に共鳴するのか、それとも刻苦勉励に人気があるのか分からないが、古い時代の大統領の中ではリンカーンは欠かせない一人だ。私たちの時代では、J・F・Kを挙げない人はほとんどいないであろう。
そしてこれから世界中の子供たちは、リンカーンとオバマを挙げることはまず疑いない。世界中の子供たちに感銘・影響を与える大統領の誕生ということは、実に大きな政治的出来事なのである。第二次世界大戦後、アメリカは圧倒的な経済力と軍事力で世界に君臨してきた。しかし、それは世界史の中ではほんの一時期のことに過ぎない。アメリカはその政治的パフォーマンス(振舞い方・あり方)で世界に大きな存在感を示していたのである。
USAすなわちUnited States of Americaは、わが国では「アメリカ合衆国」と表記される。英語の単純な訳とすれば、アメリカ合州国が正しいと思われる。しかし、私たちの先人はアメリカ合衆国と訳した。誤訳説もあるが、私はそう思わない。明治の先人たちは英語も深く理解していたし、漢籍の造詣が深かった。夏目漱石もそうである。それにしても“合衆国”の由来が周礼の「大封之禮、合衆也」にあるとは初めて知った。英語の訳を厳密に行わず、安易にカタカナ書きにして物事を説明するのは慎んだ方がいい。最近の役人と学者には、その傾向が特に強い。
アメリカ合衆国は、世界中から人々が集まって作った国なのである。いまでも多くの人々が流入している国なのである。だから、アメリカ合衆国は世界の人々にとって特別の国なのである。従って、アメリカ合衆国の大統領は特別な存在なのである。オバマ氏は勝利演説の中で、United States of Americaと誇らしげに言った。次期アメリカ大統領のメッセージは、世界中の人々に対するメッセージでもあるのだ。世界の人々はそう捉えるであろう。そして世界中にオバマ現象が現れる。世界には貧困に喘ぐ人が多くいる。貧困に喘ぐ人たちはそれぞれの国で能動的に活動を始めるであろう。
貧困という経済的現象は、世界の人々にとってもっとも理解しやすい現象である。貧困からの脱却は、世界中の人々が共有し得る夢である。理想である。マルクス・エンゲルスの共産党宣言は「万国の労働者、団結せよ!」と結ばれている。オバマ氏は世界中の貧困に喘ぐ人々に向かって貧困への闘いを始めようと宣言した。これは「万国の労働者、団結せよ!」よりもはるかに分かり易い。世界中の貧困に喘ぐ人々はこれに呼応するして立ち上がるであろう。そうした世界的潮流の中で、わが国が何を為し得るかを考えることがいま重要なのである。
オバマ氏が大統領になったら日米関係はどう変わるかと心配している人が多い。現在の日米関係で潤っている人々にはその傾向が強い。昨日国会議員数人と話した。ある人によれば麻生首相は最後の最後までマケインが勝つと信じていたそうである。オバマ氏の当選を受けての初めての会見で、麻生首相はあまり嬉しそうでない顔をして「どなたが大統領になられても50年間に築き上げた日米関係は変わらない」という趣旨の発言をしていた。彼にとっては日米関係が変わるのが不都合なのであろう。私などは日米関係もchangeしなければならないと常々考えてきた。“唯米主義”などと詰ってきた所以である。
changeを一枚看板とする大統領の出現は、日米関係をchangeする絶好の機会なのである。わが国の外交防衛に携わる者にはそういた考えはほとんどない。 “唯米主義者”で占められているからだ。経済界にも“唯米主義者”が多い。国粋主義と異なるが、国境がある限り外交防衛と経済は自国の利益優先が当り前が世界の常識である。自己の利益を平和的手段でぶつけあうのが自由主義社会である。自公“合体”政権は労働者や貧困者が平和的手段でその利益を確保するシステムを壊してきた。小泉首相の“構造改革”などは、正義と偽ってそうしたシステムを壊してものであった。騙した奴は悪いに決まっているが、それに騙された人々も少し反省する必要がある。
オバマ氏の当選をグローバル(世界的)な視点からみればこういうことだ、と私は思っている。このchangeはブッシュ大統領の“テロとの戦い”に比べればはるかに良いことである。しかし、オバマ氏といえども万能ではない。アメリカ国内にはブッシュ路線を支持した人々が約40数%いたことを忘れてはならない。仮にオバマ氏がchangeしたくてもそれを阻止するのは、そういう国内事情にある。オバマ氏のアフガニスタンに対する方針など私にはちょっと理解できないが、原因はそうしたところにあるのではないか。アメリカの軍人や経済人の横暴を止めるためには、国際的圧力が必要である。
世界は絶えず変化している。生きとし生ける者は絶えず変化しなければ生きていけない。Changeする力がないことは、死を意味する。自公“合体”政権にはChangeする力がもうない。田母神前航空幕僚長の処分をみていても対処能力すらないことが窺える。年金の不祥事もそうだ。舛添氏などただ弁じるだけである。解決は何もできない。今朝の報道では2兆円のばら撒きも迷走している。高額所得者には自主的な辞退をお願いするのだという。麻生首相は“金持ちほどケチだ”という俗言を知らないのであろうか。麻生首相は金持ちらしいが、彼もケチであった。私は彼の近くにいてそのことをよく知っている。そう、“金持ちはケチ”なのである。
それでは、また。