清和会のルーツとCIA
07年10月25日
No.591
爽やかな秋晴れが今日も続いている。今日も朝から守屋前防衛事務次官のゴルフ接待のことで朝の報道番組はもち切りであった。妻まで接待漬けというか、接待のおねだりをしていたらしい。自公“合体”政権の官僚の醜聞である。
昔は、綱紀粛正といった。“官僚の不祥事”が続いた場合に使われた言葉であった。疑獄というより官僚の不祥事などが多発したときに使われた用語だったようなな気がする。官僚の不祥事などは日常茶飯事となった。そして綱紀粛正という言葉も使われなくなった。守屋前次官の今回のケースの場合、本当に不祥事だけで終るのか、それとも大きな疑獄事件になるのか。防衛関係と事務次官であることからいって、この“不祥事”としてはきわめて深刻である。
右翼反動は軍事に特別に熱心である。軍事にこそ国家の要諦があると言わんとする論調が多い。軍事は国家のレゾン・デートルであり、神聖と考えている人が多い。永田町徒然草No.585で紹介した“正論派言論人”の主張にもそうした傾向は十分に見受けられる。防衛という国家の厳粛な任務にたずさわる省の最高責任者が、その神聖さを汚したのである。許すことができない所業の筈である。防衛問題となると勇んで発言する右翼反動論者や正論派言論人にこの問題ではお目にかかれない。実は不思議なことではないのである。
権力迎合的な“正論派言論人”
自公連立が仮に選挙を目的とするものだったとしたならば、森田氏がいうとおり自民党と公明党は“合同すべき”なのである。それが正論である。私は自民党や公明党の卑しい根性を最初から知っているので、自公“合体”体制と呼んでいるのである。“正論”で思い出したが、『産経新聞』の「正論」などで気を吐いている“正論派”言論人がこういう正論をいわないことをハッキリと指摘しておきたい。わが国の右翼反動の特質のひとつは、権力迎合的であることである。創価学会・公明党は、自公“合体”体制下では権力の一部なのである。権力の一部を批判することなどわが国の右翼反動には最初からできないのである。いわゆる“正論派言論人”を私が信用できないのは、こういう点からである。
“正論派言論人”の中にはそれなりの知識・経験をもっている人もいるようだが、政治的にはこの一事をもってその本質が窺えるのである。権力の批判ができない言論人など言論人に値しない、と私は看做している。政治的評論は、その資質・見識が厳しく問われるものなのである。政治というものの厳しさである。
これは隔週誌『 FORUM21 』2007年10月15日号の「前代未聞の選挙のための連立!? ─ 矛盾を露呈した自民党と公明党の連立」からの引用である。連立という政党のレゾン・デートルに関することでもこのようなのである。防衛という国家の基本に関することでも、いざとなるとこのような状態なのである。“正論派言論人”とは、所詮こういう人種なのである。こんな人種に騙されはならない。
私が所属していた宏池会ではこういう言論人を相手にしていなかった。正論派言論人を多用していたのは、清和会(福田派)と政策科学研究会(中曽根派)であった。清和会内閣が長く続いているので彼らにとってはわが世の春なのであろう。1ヶ月くらい前の週刊『文藝春秋』で、岸信介元首相がCIAから資金援助を受けていたことが暴露された。私はこの記事は信用に足りると思っている。清和会のルーツは遡れば岸氏にある。そうすると一連のことが全部繋がってくるではないか。守屋前次官の不祥事がどのように政界を揺るがすのか、私は注目をしている。
それでは、また明日。