Scotlandの住民投票の意味
14年09月20日
No.1694
4連休の真っ最中という羨ましい方も、おられるのではないだろうか。季節は、東京でも完全に秋となってきた。本当に、“暑さ寒さも彼岸まで”だ。今週のトピックは、何といってもスコットランドにおける独立についての住民投票であろう。各メディアも、何故か大きく取り上げていた。そのためであろうか、投票が行われる木曜日ころ、当サイトのアクセスが何故か大きく伸びた。私はイギリス政治のことまでフォローしていないし、ましてや住民投票の予想などする訳がないのに(笑)。
今週も、白川勝彦法律事務所は非常に忙しかった。NHKでも投票状況をライブで放送していたので、結果は午後1時ころに知ったが、総括的なことを、もっと知りたいと思っていた。夕方になってチャンネルを回してみたが、どこの局も、あまり報道していなかった。わが国のこれといった反応と言えば、株価が大幅に上昇したのと、円安が進んだくらいだ(笑)。
私がいちばん懸念していたことは、投票が終わった後、スコットランド地域で政治的な衝突が起こっているのではないか、ということだった。しかし、それはほとんどなかったようである。事前に予想されていたギリギリの結果ではなく、10%の差があったからなのだろうか。それとも、民主主義の先進国として、投票結果には従うという政治的見識があるからなのであろうか。
そうはいっても、スコットランドというひとつの地域が、連合王国(イギリス)から独立・離脱するかどうかという問題である。昔ならば、戦争で決着が付けられた問題である。最近では、クリミアで住民投票が行われた。しかし、ウクライナ中央政府はこれを認めていないし、国際的にも有効な決着とは言われていない。だから、ロシアと西側陣営はいまなお対立しているのだ。わが国も、そのような立場なのであろう。
私は、ある国のひとつの地域が、選挙で帰属している国から独立する、離脱するなどというのを、国際政治の中で見たことがない。今回独立するという投票が過半数を超えていたとしたら、イギリスの中央政府がこれを拒否することはなかったと思われる。今回、スコットランドが独立したにしても、多分、平穏理に事態は進んでいたと予測できる。問題は、その法的根拠である。実は、そのことが今回の問題の最重要事なのだ。
1997年の住民投票で議会設立
「独立」の転機は、1997年5月にスコットランド出身のトニー・ブレア首相が就任し、同年9月にスコットランド議会の設立をめぐる住民投票が実施されたことでした。その過半数の賛成に基づいて、1999年7月にはスコットランド議会が開設。スコットランド議会には、外交、国防、エネルギー、社会保障などを除き、警察や教育を含めた幅広い分野で法律を策定する権限が与えられています。
さらに2011年のスコットランド議会選挙では、独立を強調する、民族主義的なスコットランド国民党が初めて過半数の議席を獲得。その選挙公約にしたがって、2012年10月、英国キャメロン首相とサモンド首相の間で、独立の賛否を問う住民投票の実施が合意されたのです。
http://thepage.jp/detail/20140109-00000001-wordleaf
今回の独立をめぐる住民投票は、2012年のイギリスのキャメロン首相とスコットランド地方政府のサモンド首相の合意、すなわち中央政府と地方政府の合意にその根拠がある。中央政府と地方政府がある国は、現在では決して珍しくない。アメリカは昔からそうなっていたし、ウクライナだって地方政府は認められているのだ。だからといって、地方政府が独立を宣言すれば、その地域が中央政府から独立・離脱できると明文で書いてある憲法は、ほとんどなかろう。
今回のスコットランドの住民投票の凄いところは、実は、ここにある。今回こそ、住民投票で独立は否定されたが、このような試みは今後、各国で模索されるのはないだろうか。いかなる国家に帰属するのかも、国民の意思で決定できるということだ。これは、国家というものの在り方、基本的人権の在り方を大きく変えることになる。その最初の試みが、今回のスコットランドにおける住民投票の意味であることを、ほとんどのマスコミは伝えていない。
それでは、また。