記憶と映画
09年02月06日
No.1075
ここのところ、映画に嵌(はま)っている。黒澤映画だ。NHK‐BS2で「アンコール黒澤映画」をやっていたからだ。確かNHK‐BS2は、昨年黒澤映画の全部を放映していた。当時私は“吉永小百合の液晶テレビ”を持っていなかったので、それらを観ることができなかった。しかし、『七人の侍』だけはどうしても観たかったので、漫画喫茶に行って観た。
放映した全黒澤映画について再放送のアンケートをとり、多かったものを再放送していたのである。今週再放送していた映画は、『天国と地獄』『生きる』『用心棒』であった。昨日は『赤ひげ』だった。これらの映画の全部を私はこれまでに映画館で観ていた。『生きる』だけはリバイバルものであったと思うが、それ以外は封切された時にであった。私が中学生か高校生の時だった。私は“ませた”映画好きの少年だった。
その時その時で黒澤映画に強烈な印象を受けた。それぞれの映画の記憶と印象は強く残っていたつもりだった。しかし、数十年ぶりに改めて観ると、私が記憶していたのはそれぞれの映画のほんの一部であった。ませた少年が理解できることは高が知れている。映画などでは、理解できないことを詳細に記憶できないようである。そのことを痛感した。63歳で観た『天国と地獄』『生きる』『用心棒』『赤ひげ』は、私が知っていた『天国と地獄』『生きる』『用心棒』『赤ひげ』とは、ほとんど別物だった。
昼間は仕事で忙しい。仕事を終えて大急ぎ自宅に帰り、黒澤映画を観る。そんな1週間だった。だから私は朝のニュース報道番組しか見られなかった。『おはよう世界』で報じられる世界のニュースには興味をそそられるものもあるが、日本の政治のニュースには興味をそそられるものは少ない。というより、ほとんど論評に値するものがない。ところでアンコールがいちばん多かったのは、やはり『七人の侍』だった。これは今週土曜日の夜9時から放映される。4度目くらいになるが楽しみだ。
それでは、また。