なぜ更新が重いのだろうか!?
08年12月25日
No.1031
私が永田町徒然草の毎日更新を始めたのは、正確にいうと2006年12月1日からである。特に予告をして始めた訳ではないが、なぜかそのような欲求に駆られたからである。欲求に駆られて始めたのだから重圧感はなかった。最初から政治的発言だけを重ねていくつもりはなかったが、永田町徒然草は次第に政治的なものになっていった。書くべきテーマには事を欠かなかった。
ところが永田町徒然草を毎日更新することを最近少し重く感じている。私には“原則として週1回の更新”を心掛けている書き物がもうひとつある。白川勝彦法律事務所のWebサイトの“法の庭”徒然草である。12月23日の“法の庭”徒然草No.28「法律的利益と経済的利益」に私は次のように書いた。
原則として週1回の更新
(“法の庭”徒然草を)“原則として週1回の更新”という目標がなかなか果たせない。その理由はいったい何なのだろうか。ひとつの理由は永田町徒然草と違って、扱っているテーマにそんなに変化がある訳ではないからだと思う。私が仕事のひとつの中心にしている債務整理に係る法制にそんなに変化がある訳ではない。画期的な判例が毎日でる筈もない。
ところが永田町徒然草のテーマである政治的事象も最近ではあまり変化がなくなってきた。正確には固定化してきたと言った方がよいのであろう。自公“合体”政権の悪政の様(さま)は、極限に達している。現象的にはいろいろなことが起きている。昨日は野党が提出した“解散要求決議案”に渡辺喜美前行政改革担当大臣が賛成した。しかし、どれほど多くの国民が衝撃をもってこれを受け止めたのだろうか。正直いって私は何にも感じなかった。スタンドプレー以外の何物でもない。私はそもそも渡辺喜美衆議院議員に胡散臭さをもっていた。それは私の苦い体験に基づくものである。
いま自民党には“怪しい動き”があるようであるが、私が耳にする人物にはみな胡散臭さを感じている。それは私の苦い体験に基づいて抱く思いである。「男子3日会わざれば刮目して見るべし」というが、「三つ児の魂、百まで」という諺もある。三つ児の“魂”というより、根性といった方がいいのだろう。混迷した政局である政治家に現れる根性はだいたい似たようなものである。いずれ自民党狂騒劇が始まるであろう。その役者の顔触れはだいたい予想できる。そのとき私は彼らの仮面を剥ぐつもりである。
閑話休題。最近の政治的な動きは、どうどう巡りである。自公“合体”政権は同じ誤りを繰り返している。これを追及しようという野党の動きも、切先が鈍い。あまり智慧があるとは思えない。そもそも“解散要求決議案”など聞いたことがない。“麻生内閣不信任案”でよいではないか。“麻生内閣不信任案”では、加藤紘一氏や山崎拓氏が2000年の“加藤の乱”の時のようにまた動かざるを得ないので、遠慮して提出しなかったのであろうか。そんな遠慮は無用である。もし背後に“新YKKK”の深慮遠謀があるとしたならば、そんなものは無用である。正攻法が好い。政権交代一直線で良い。
結局は…
もちろん多く手掛けている債務整理の仕事には、日々いろいろなケースや参考になる事例もある。しかし、秘密保護の関係もあってストレートに紹介することには制約がある。債務整理の成功事例は沢山あるが、それは私の手柄ではなく債務者が積み重ねてきた実績に起因するものであり、私が自慢話をすることでもない。債務整理に関して言えば、「多額の借金でお悩みの方は弁護士に相談することだ」ということに尽きる。
“法の庭”徒然草は前記にこのように続けているが、政治も同じである。もう政権交代しかない。永田町徒然草で言いたいこともこれに尽きる。だから毎日更新する必要もないのであるが、それでは済まされないであろう。“倦まず弛まず”に自公“合体”政権の悪行を暴き、自公“合体”政権→自公“合体”体制をなんとしても打倒しなければならない。
ちなみにAmazonに『政権崩壊』が追加された。“在庫あり”に替わっている。Amazonの悪いところは直ぐ在庫がなくなることである。注文してから“3週間から5週間”は買う気合が失せてしまう。私は本を書店で買うことはあっても注文で取り寄せたことなどない。本のインターネット販売も同じなのだと思うが、Amazonは直ぐに在庫切れになってしまう。本のインターネット販売は他にもあるが、そちらの方は代金決済に問題が残る。1冊1500~1700円の本にとっては200円前後の送料あるいは代金決済料は大きいのである。いずれにせよ本の販売には苦労する…。
それでは、また。