即写寸言inソウル
08年10月14日
No.960
ソウル滞在も今日で終わりである。私は午前9時過ぎのフライトでソウルを立つ。従って、朝作業することはできないので、夜の内にupdateしておく。短い滞在ではあったが、ソウルに来て本当に良かった。実りの多い旅だった。書き出すと長くなるので、即写寸言inソウルとしてupdateする。文字による旅行記は時間があったら後日行う。
景福宮の正門前である。私が立っている後にかつて日本総督府の建物があった。その建物を取り壊すことは聴いていたが、実際に取り壊されたのを観るのは初めてである。今回の旅行でこの目で観ることは、どうしてもしておかなければならないことであった。
1988年ソウルオリンピックのメーンスタジアム入り口である。そこの正門がどうなっているかを報告することは私の義務であった。その理由は永田町徒然草No.910「兵どもが夢の跡!?」を参照されたい。
これがオリンピックスタジアムに入る中央門である。少なくとも草ボウボウではない。東京都オリンピック招致委員会は、国立競技場中央門の草叢を掃除したのだろうか。本当は東京を出立する前に確認しておきたかったのだが、忙しくてできなかった。帰国したら、まずその確認をしなければならない(笑)。
韓国民俗村に行く道中で撮った。プサンに向かう高速道路は非常に混んでいた。ところが中央路線はこのように空いているのである。なぜかというとバス路線なのである。高速バスがどんどん突っ走る。私たちは11人乗りのワゴン車だったので、バスと同じようにここを走っても良いのである。ご同輩、韓国の高速道路を走る場合には、ワゴン車に限るぜ(笑)。
韓国の古い農家である。新潟県の農家もこんな感じてあった。私はすごく気持が落ち着いた。
この家の玄関の脇には牛小屋があった。生きた牛がいた。赤ベコであった。
これは地方の両班(ヤンパン)の家の門構えである。どの位の格式の両班なのかは定かではないが、藤沢周平の『武士の一分』でみた武士の家よりはかなり立派であった。
上記両班の居宅である。非常にしっかりとした造りである。ただ一つひとつの部屋は狭い。昔から韓国ではプライバシーが大切にされていたのだろうか・・・。本当の事情は分からない…。
この家に来ていた日本の高校生である。たぶん修学旅行で来たのだろう。私たちの学生時代には考えられないことであったが…。問題はそこで何を感じ、何を掴んで帰るかである。
それでは、また。