政治家とは・・・
08年09月21日
No.937
今日から10月25日早朝まで、私は原稿書きに没頭する。10月22日の午前にある事件の打ち合わせ会議、午後に数件の依頼者との面談以外、自宅に篭って400字詰め原稿用紙に換算して約150枚を書き上げなければならない。結構な枚数だが、この位はそんなに難しくない。私は意外に速筆なのである。昔は原稿用紙に書いたものだが、最近はすべてパソコンに打ち込む。
この間、政治的には大した動きはないであろう。麻生氏は明日自民党総裁になるし、24日召集される臨時国会で総理大臣に指名されることは確実である。これが狂うことは、麻生氏が急死でもしない限り100%ない。100%の確率の勝負に国民の関心が集まる訳がない。世の中には出来レースというものがある。しかし、100%の出来レースと判っている勝負や試合に、観客が銭を払って集まるものか。最初から最後まで、まさに“自民党の、自民党による、自民党のための総裁選”であった。誰がこんなつまらないシナリオを書いたのだろうか。知恵のない自民党に成り下がったものである。
誰が誰を推しているのかも、さっぱりニュースにならなかった。嘗ての友がどう動いているのかも興味がなかった。自民党はもう死んでいるのである。死んでいる政党がどう足掻(あが)こうが関心はない。自民党の再生の気迫など、まったく伝わってこない下手な出来レースだった。こんなもので国民を騙せると思ったら滑稽である。国民がもし騙されたとしたならば、これも“お笑い”である。政治の世界の“お笑い”は、もうウンザリだ。
来るべき総選挙で自公“合体”政権を倒すためには、まだまだ仕掛けが必要である。この数日間は著作に専念する。迫りくる総選挙に少しでも役立つものを上梓するためである。従って、永田町徒然草はお休みになるかもしれない。本当に休んでいる訳でもないし、法律の仕事に感(かま)けている訳でもない。私は弁護士であると同時に政治家でもあるのだ。
選挙に出る者だけが政治家ではない。バッチを付けている者だけが政治家なのではない。この国を憂い、国民の幸せのために戦う者は、皆んな政治家なのだ。現にバッチを付けている政治家諸侯、バッチを付けるべく立候補せんとしている諸侯、諸君は歳費をもらって政治を行う者に過ぎないのだ。歳費をもらって政治に専念するに値する政治家となって欲しい。諸君には使命感と謙虚さが必要なのだ。そのことを肝に銘じて欲しい。
それでは、また。