幻想的で牧歌的なお盆
08年08月11日
No.897
一昨日の夜から昨日まで東京はなぜか暑くなかった。冷房の効いた部屋からから出てもムッとしなかったのである。冷房が効いている地下鉄の出口から外に出ると、外の方がかえって涼しかったのだ。連日のあの暑さが急にどうしたのだろうかと思った。昨晩と早朝にかなりシッカリした雨が降った。今朝はまだ暑くはない。でも、また暑くなるという。
白川勝彦法律事務所は昨日から1週間、夏期休暇に入った。私は決まった休暇のスケジュールを立ててはいなかった。休暇の予定を確りと立てていると、それはもう休暇でなくなる。確りと休むことにはしているが、気の向くままの出たとこ勝負の過ごし方をするつもりである。私は今日が旧盆の入り(8月13日)だと思っていたが、まだ8月11日である。2日勘違いをしていた。ちょっと私のイメージが狂ってきた。
私は昨日の内に郷里の十日町市に行くつもりだった。そして今日の午前中にお墓の掃除をして夜にお墓参りをするイメージを描いていた。それが2日狂ったのである。兄はすでの実家を引き払い、埼玉県久喜市に住んでいる。癌の闘病中である。そうだとしたら私がお墓の掃除をして先祖様を迎えなければならないと思ったからである。なぜか私の家のお墓は菩提寺の境内にはないのである。集落の共有地に私の家の墓だけポツンとある。その理由は分からないのであるが、実家が神官であったことに関係しているのではないかと思っている。
集落の共有地は300坪くらいの空き地である。私の家の墓があるだけの草地である。集落の共有地なので、ときどき集落の人が草刈をする。お墓の周りは私の家が草を刈らなければならない。子供のころ私はその草刈をときどき命じられた。お盆になると草刈だけでなくお墓の掃除も命じられた。綺麗に掃除をしてお盆を迎えるのだ。夕方になると家族皆んなでお参りに行った。私が子供のころ、わが家の家族は総勢13人もいた。
お墓のある共有地は集落のはずれにある。信濃川と集落の百町歩の水田が一望できる段丘のはずれだ。実家からは200メートルくらい離れている。実家の真ん前に集落のほとんどの家の菩提寺がある。皆さんは私の家の方向に向かってお墓参りに来るのだが、私の家だけ逆の方向にまず向かうのである。共有地にあるお墓のお参りした後、私たちも菩提寺の本堂に行ってお参りする。それぞれの家の子供たちは鮮やかな色彩の提灯を提げてお墓参りに行く。夏の夜、2~4個の色とりどり提灯を灯した家族連がお墓参りに行く光景は、とても幻想的で牧歌的であった。これが私のお盆の原風景である。
東京で雑用を済ませ、とにかく今日中に十日町市に行くつもりだ。明日はお墓の周りの草刈と掃除をするつもりである。それでもあのお墓参りには1日もある。どうするかは現地で考えるkととする。休みぐらいはスケジュールに縛られないで過ごしたいものである。永田町徒然草を書くことは、いまや私にとってスケジュールではない。朝ごはんを食べるようなものだ。しかし、この1週間は日常からの“オフ”なので、お休むを頂くかもしれない。そのときはご容赦を願いたい。
それでは、また。