誕生日に思うこと
08年06月22日
No.847
今日は私の誕生日である。63歳になった。誕生日も63回を数えると大した感慨がなくなるという人もいるが、私は逆である。「1年を無事に生き抜き、また誕生日を迎えることができた」というのは、ひとつの感慨を抜きに語れない。たぶんその想いは、年々強くなるのであろう。果たしてもう1回歳を重ねることができるのだろうか。
私はいま特に病気という訳ではない。医師からこうしなければ責任を持てませんと言われている訳ではない。しかし、健康そのものという訳でもない。2年前に「健康生活」をおくっていたとき、私は“健康”を意識できた。それに比べれば、最近は健康のために努力していない。食事は出鱈目という訳ではないが、キャベツが主食ではない。体重も元に戻ってしまった。運動も余りしていない。
タバコは、1日に3箱吸っている。マイルドセブンライトである。これは健康に良くないと思っているが、なかなか止められない。というより、止めようと努力していない。禁煙の苦労とストレスを私は知っているからである。かつて禁煙にチャレンジした時、禁煙の苦労とストレスの割りに即時的に得られるものは少なかった。しかし、最近では喫煙が健康を害していることを体で感じている。私にとって当面の健康対策は禁煙することだと思っている。
ここで健康談義をするつもりはないが、60歳を超えると健康は作るべきものと思うようになった。そう考えているにしては、私は健康生活をしている訳ではない。これからはもっと健康な生活をするように努力しなければならない。先週は白川勝彦法律事務所のWebサイトを立ち上げるために大変だった。1日も休みはなかった。今日は何も予定がなかったので、昨夕仕事が済んだあと久しぶりに渋谷に出かけた。そうすると私はもう若返るのである(笑)。無茶をするのである。結局家に帰ったのは午前4時過ぎだった。
今日の永田町徒然草は誕生日のことを書こうと思っていた。だから昨夜のうちに書けるテーマだったのである。真っすぐ家に帰ってそれをやっていれば良かったのだ。それがなかなかできないのである。私の生活のあり方そのものが健康的でないのであろう。まさにway of lifeの問題だ。長生きは健全なるway of lifeの結果――賜物なのであろう。そういう意味で、誕生日は“めでたい”のだろう。私の63回目の誕生日は、何となく来てしまった。
それでは、また。