190万ヒットに寄せて
08年06月19日
No.843
白川サイトのホームページのアクセス・カウンターが昨日190万を超えた。160万を超えたのは、200年3月14日であった。3ヶ月ちょっとで30万増えた。いつもいっているように実際のアクセス数はアクセス・カウンターの数字の約10倍である。そうすると3ヶ月ちょっとで300万アクセスである。私は最近この数字が怖くなっている・・・・・。
怖い!? そう、本当に怖いのだ。私は思うこと、気が付いたことをただ“つれづれ”に書いているだけなのだ。それなのに、どうしてこんなに多くの方々が永田町徒然草を読みに来て下さるのだろうか。有難いことだが、気軽に書けなくなる。いい加減なことを書けなくなってしまう。国会議員の時は、国民から給料を貰っているのだからそれも仕方ないだろう。しかし、いまは政治的に気楽な素浪人である。気楽な天下の素浪人が思い付くことを“つれづれ”に書くところが、この永田町徒然草の特色だったのであるが・・・・・。
“行(ぎょう)”として永田町徒然草を毎日updateしようと考え書き始めたのは、2007年10月1日からであった。とりあえず1年間くらいやってみようと思った。その“行”はなんとかクリアできた。“行”は終わったのだが、その後も毎日updateしている。それは書きたいことがあるからである。また書かなければならないことがあるからである。もうひとつは、毎日多くの方々がアクセスして下さるからである。最後のことは私の想いに過ぎないが、あと二つの理由は怖いことなのである。
一昨日の永田町徒然草No.841で、「“風が吹くと桶屋”云々ではないが、なぜ地震と白川サイトなのか。私にはどうしても分からないのだ(笑)。」と私は書いた。毎日実にいろんな事件や政治的出来事が起こっている。たぶん多くの方々がやり切れない気分・想い・怒りを持っているのだろう。ひとつの理由がそこにあると私は思っている。もうひとつの理由は、そういう色々なことに適切な論評や批判が少ないからなのであろう。そうだとしたら“怖い”ことではないか。
いうまでもなく、私は評論家でもないし、学者でもない。2007年10月ころはヒマであったし、時間があった。しかし、最近ではあるプロジェクトを立ち上げるためけっこう忙しい。ニュース報道番組をみれないときも多くなってきた。ましてやキチンと調べた上で永田町徒然草を書くことなど儘(まま)ならない。だが、私は長いことプロの政治家として生きてきた。私は政治的人間である。そのような者が感ずることや思うことを多くの人々に伝えることは、私の義務だと思うし私の欲求でもある。私が生きている証でもある。
正直にいって万を超える人々の目に晒される文章を書くことは、そんなに簡単なことではない。気の利いたことをそんなに毎日書ける訳でもない。私のサイトにアクセスして下さる方々がいる以上、何かしら参考になることを書ければ良いと思っている。そういうことならば、書ける自信はある。これだけ世の中がおかしくなり、政治が出鱈目なことをしているのだから、私は書き続けなければならない。このアクセス・カウンターが200万を超えるのは何時なのであろうか。そのとき日本の政治はどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。小さくとも白川サイトはその歯車になりたいと思っている。これからもご愛読をお願いする次第である。
それでは、また。