鴎外と雑事の出典
06年12月26日
No.288
「白川さんのコラム、毎日楽しく拝見しています。先日は私の拙いメールの文章をコラムで取り上げていただきましてありがとうございました。図書館で森鴎外の娘の小堀杏奴の「晩年の父」(岩波文庫)を借りましたので、すでにお読みかもしれませんが、「なんでもないことを楽しむ心」について書いてある箇所を抜粋したものを送付させていただきます。
杏奴が父(鴎外)の気持ちとしていっていることを、鴎外の発言としてお伝えしましたが、この本をざっと読んでみたところほかに「なんでもないことを楽しむ心」について言及した箇所がないので、私の勘違いであったようです。
杏奴という人は、父鴎外をものすごくちゃんと見ていた人であることが、この「晩年の父」を読むとよくわかるのですが、その中でもとくにこの「なんでもないことが楽しいようでなくてはいけない」という父の気持ちを伝えているところが、鴎外の人となりが浮かび上がってくるような気がして、私の心を捉えたことを思い出します。読みながら、父と娘が会話をしている情景が目に浮かび、それがいつか記憶として残ったもののようです。
不確かな記憶をお伝えし、申し分けございませんでした。以下に小堀杏奴の「晩年の父」(岩波文庫)より抜粋したものを記します。
【(略)父はまた落着いて物を片付ける事が好きだった。埃が積っていた本を引出して、羽みたいなもので丹念に拂ってゐる時など、如何にも楽しそうにしていた。「なんでもない事が楽しいやうでなくてはいけない」と云ふのが父の気持ちだった。所が子供の私たちにそんな事が解る筈は無かった。(略)】 Y・T」
以上がY・Tさんからのメールです。永田町徒然草No.280に「Y・Tさんも調べて下さるそうだが、私としても出典を調べなければならない。2、3日中に国会図書館に行って調べてもらうつもりである」などと書きながら、雑事にかまけて結局は国会図書館には行っていなかった。きっとY・Tさんは見るにみかねてメールを下さったのだろう。心から感謝する次第である。
ここで知りたいことが起きた。鴎外が「なんでもない事が楽しいやうでなくてはいけない」というようになったのは、晩年になってからなのかそれとも若いうちからだったのかということである。Y・Tさんが引用してくれた文章を読むと晩年のような感じがする。誇りを払っている姿は着物を着ているような雰囲気がある。もしそうだとすると雑事を楽しむことを若干考えるようになった私も晩年いうことか?人生50年の時代なら61歳は立派な晩年といわれても仕方ないのか。しかし晩年とはちょっとショックである。
こういう風に考える私をY・Tさんはきっと嗤うだろう。「読みながら、父と娘が会話をしている情景が目に浮かび、それがいつか記憶として残ったもののようです」と文学作品を楽しむY・Tさんの読書スタイル。また掲載したようなメールを下さる誠実さ。それに比べ、なんと貧困な発想しか持てない私であることか! しかし、文学に親しむ人生を送ってこなかったのだから仕方がない。まずは小堀杏奴の「晩年の父」を手にして読むことにしよう。いまは温故の年賀状書きに忙殺されているので、正月の仕事だ。いずれも雑事などでは断じてない。Y・Tさん、本当にありがとうございました。
それでは、また。