解題──「友へ 友よ」
06年12月16日
No.278
白川サイトのホームページを刷新するにあたって、いちばん時間がかかったのはキャッチコピーをどうするかということであった。これはリーフレットを作るときも同じだ。秘書などは私のあまりの懲りように辟易していたようだが、私は一向に気にしなかった。キャッチコピーは、きわめて大切だからである。リーフレットにいろいろ書いてあることを一言でいえば何であるか示すのがキャッチコピーだからである。私のWebサイトのコンテンツはいろんなものがある。これから発するコンテンツも一言ではいい表すことはできない。しかし、発信する思いはひとつである。それで「友へ 友よ」に決定した。
このキャッチコピーにしようと考えたころから、二つの歌のメロディーが頭をかすめた。ひとつは、岡林信康作詞・作曲の「友よ」である。私たちの学生時代に流行ったフォークソングだ。学生運動をそれなりに熱心にやっていた私たちには、忘れることができない歌のひとつである。
学生運動に勝利などというものはあるのだろうか。学生運動などというものは、いつの時代も空しくはかなく敗れるものなのであろう。私たちも敗れたのだろう。だからといって、学生運動は決して無駄ではないと思う。学生運動をすることによって感じたり知った社会は、書物や映像で知った社会とは明らかに違うものである。学生運動を一緒にやった友人は、社会に出てから得た友人とはまったく別なものである。いま私たちの世代は職場からリタイアする者が多い。私は一足早く6年前にリタイアさせられた。30年、40年やってきた世界からリタイアするということは、けっこう大変なことなのである。しかし、長年あまり意識せずに生きてきた社会を離れたとき、その出発点にあった青春時代が蘇ってくる。
私たちが若いとき感じた闇より、現在の状況は、政治的にいえばはるかに深刻である。かつての若さも、いまはない。鬼籍に入った友人もいる。しかし、私たちは今、生きている。健康に気をつければ、まだかなり生きていくことは可能だ。そう思ったとき、私はかつての友人たちに、無性に語りかけたくなった。会いたくなった。そして、数十年の社会生活に堪えた上で、今、どう考えているのか知りたいと思った。また、数十年の経験を踏まえた上で、自信をもっていえることがいっぱいある。年寄りぶって若い人に説教するつもりなど毛頭ないが、参考にしてもらえれば幸いだと思う。私は若いとき、大人たちが若い者に力を貸してくれないことに不満があった。そういう大人にはなりたくなかった。いま悩んでいる若い人にも「友よ」と語りかけたい。闇を作った責任は、私にもあるからだ。
もうひとつの曲は、ベートーベェンの「第九」の合唱である。音楽などまったく解せない無粋な私だが、ベートーベェンだけは好きだった。ステレオが手許にあるときは、ベートーベェンはいつも聴いていた。「第九」は特に大好きだ。現在も時々聴いている。いま持っているCDは、フェレンツ・フリッチャイの指揮のものだ。音楽好きの支持者から数年前にもらったものだ。「エグモント」序曲も付いている。ベートーベェンは、哲学的な音楽家なのではないだろうか。そこが好きなのだ。これでもかこれでもかと迫ってくるところが好きだ。「歓喜に寄す」は、シラーの頌歌(ショウカ――ほめてうたう、またその歌。神仏をたたえた歌)に曲をつけたものだ。
歓喜に寄す
おお友よ、このような音ではない!
もっと快い、もっと歓びに満ちたものを
歌い出そうではないか!
歓びよ、美しき神々の火花よ、
それは楽園から来た乙女なのだ、
われらは火の如く酔いしれて、
天にもまがう汝の聖堂に踏み入るのだ!
世俗の習慣が強引に引きはなしたものを
汝の魅力は再び結びつけてくれる。
汝のやさしい翼のとどまるところ、
すべての人々は兄弟となる。
ひとりの友を真の友にするという、
難事を克服した者や、
やさしい心の女性を妻にした者は、
歓びの声をともに挙げるのだ!
そうだ、この世界の中で
たとえ一つでも人の心をかち得た者は共に歓ぶのだ!
しかしこれらに失敗した人は
涙しつつこの同盟から去らねばならぬ。
(以下省略。訳:渡辺 護)
もう、これ以上の説明は必要ないだろう。今、私たちは語りかけ合わなければならない。できれば会って、話し合わなければならない。私がいまできることは、このWebサイトを通じて、私の“知っていること” “思っていること” “考えていること”を伝えることである 。「友へ 友よ」という思いをもって…。
それでは、また。