分類「徒然」について
07年10月28日
No.594
この永田町徒然草の最後に掲載時刻と“分類”というのがある。私を良く知っている人は、“掲載時刻”も注意深くみている。掲載時刻を丹念に見ていると私の生活ぶりが分かるのだという。この掲載時刻は変更できるのだろうが、いまのところ私にはできない。予めupdateをコンピュータに登録しておく場合は別だが、それ以外は実際に私がupdateした時刻である。自堕落な生活を慎む意味でもこのままにしておこうと思う(笑)。
分類の方は、全部で10個の中からそのテーマに応じて選択して付けることになっている。分類そのものはいくらでも増やせるが、そんなに増やしたからといってよいものでもないだろう。分類を最初から意識しては書かない。あくまでもできあがったものを校正している時点で決める。しかし、「徒然」とする場合は、だいたい最初から決まっている。現在のシステムを利用するようになり、できるだけ毎日updateしようと思ったとき、「徒然」が多くなると思っていた。実際に最初の頃はそうだった。
しかし、最近では「徒然」が少なくなった。それはわが国の政治が動いているからであろう。また私が発言したいことが多くなってきたからである。最近いちばん多いのは、もちろん「国内政治」である。それはこのサイトの性格からいって当然であろう。読者もそのことを期待していると思う。毎日何かを書こうとすると時には国内政治について書けないときもある。それはニュースなどをキチンとフォローできない場合である。ニュースさえフォローする時間があれば、論じるテーマが無いことはない。
そういう時のために、以前はヒマネタというものをいくつか用意していた。いまでもちょっと感じることがあった場合、それを簡単なメモにしている。歳をとると、忘れやすくなるためである(笑)。そこまでして何も毎日updateしなくてもよいではないかと思う人が多いであろう。私も毎日updateすること、それ自体に特別の価値や意味があると思っているわけではない。インターネット・オタクではないつもりである。しかし、私がこの永田町徒然草を書いていて、いちばん楽しくまた若干緊張するのは、分類「徒然」のものを書いている時である。
一見何でもないようなことが、政治的にどのような意味をもっているのか。そこに鋭い観察眼とセンスがいる。だから、私の「徒然」には純粋な“つれづれ”はほとんどない。なにも無理して政治的なことをこじつけているのではない。私の長年の習性で、物事を政治的にみるようになっているからである。読者にご理解いただきたいのは、ちょっとした日常の出来事に政治的に重要な問題が含まれていること、あるいは象徴されていることを見抜く力を大切にして欲しいのである。私が「徒然」と分類するものをその参考にしてもらえれば幸いである。
それでは、また明日。