爽やかな秋晴れ
07年09月29日
No.565
昨日の朝、気象情報では暑くなるというので半袖のシャツで出かけた。久々の休みだったので、漫画喫茶(私はインターネット・カフェというのはあまり好きではない)で好きな漫画を読んだり、馴染みの友だちと麻雀をしたりして、今日の未明に家路についた。外は半袖では少し肌寒さを覚えるほどの涼しさであった。東京にもいよいよ秋が来た。
私は今年の夏、自分の部屋ではクーラーを1度も付けなかった。「お前、クーラーなんか本当は持っていないのではないか」といわれそうだが、一応あることはあるのである。今年の夏、クーラーをつけないようにしようと思ったことに特別深い意味がある訳ではない。クーラーをつけたからといって、本当に暑さから解放される訳ではないからである。暑いとき、クーラーをいれるとその直後は快適だし、ホッとする。しかし、しばらくするとやはり暑さを感じる。そこでクーラーを強くすると、その直後は良いのだがまた同じになる。
そこでまたクーラーを強くしたところで、同じことの繰り返しである。もちろん、ある温度以下にすればそんなことはないのだが、今度は身体が冷えてくる。それは明らかに健康に良くない。もうひとつの困ったことがある。私はヘビー・スモーカーなのでクーラーを入れた部屋はどうしても空気が淀んでくる。暑くとも窓を開っ放なしにしておけば、そうはならない。それにクーラーの効いた部屋からどうしても出なければならないことがある。その時のムッとした暑さはたまらない。
だから、私は暑さを快適に感じることができなくとも暑さに耐えられる身体にしようと考えたのである。それが猛暑の中の散歩である。猛暑の中の散歩は、思うほど暑くはないのである。汗がダラダラと流れることには、ある快感がある。猛暑の中の散歩の後は、暑さもそれほど暑く感じられないないのである。シャワーを浴びた後などは、爽快でさえある。まぁ、こんなことをしているうちに、暑さに強い身体になったことは事実である。しかし、コンビニやスーパーや飲食店に入ったときの涼しさは、格別である。猛暑の中、これだけ涼しくしているのだから、多少高くても仕方ないか、などと思ったりした(笑)。
国的には、暑さや涼しさはまだら模様のようである。しかし、東京は間違いなく秋となった。実りの秋、食欲の秋、読書の秋、人を恋うるの秋。秋は昔から多くの人が愛した季節である。私は政治の究極の目的は、“爽やかな秋晴れのような社会を作ること”だと思ってきた。私のパンフレットにそのように書いてきた。私たちが爽やかな秋晴れと感じられないようなことと戦うことが政治活動である。
経世会支配・自公“合体”政権などは、私の戦いのターゲットであった。そのようなものが、私たちを支配している以上、私は爽やかな秋晴れのような日本と感じることはできなかった。福田内閣が誕生した。この醜悪な福田内閣がわが国を支配することが、私には耐えられない。だから、私は福田内閣と戦う。爽やかな秋晴れのようなわが国を作るために! 福田内閣は矛盾に満ちている。こんな内閣を倒すことなど、それほど大変と私は思わない。
それでは、また明日。