興一利不若除一害
06年12月08日
No.270
「興一利不若除一害」……「一利を興すは、一害を除くに若かず」と読む。何事においても、一つの利益あることを始めるよりは、一つの害を除くほうに用いるべきだ(諸橋轍次著・中国古典名言事典)。元の功臣耶律楚材(やりつそざい)のことばである。耶律楚材は契丹の人であったが、モンゴル軍に侵略されて捕虜となった。ジンギス・カーンの目にとまり、ジンギス・ハーンの下に仕えた。耶律楚材は、モンゴル帝国の基礎を作ったといわれる大宰相である。耶律楚材のこのことばを私たちの時代の国会議員はだいたい皆知っていたが、安倍首相や小泉チルドレンはきっと知らないと思う。
立花隆氏が書いているが、最近の大学生の学力低下は目に余るものがあるという。これは大学生だけではない。最近の政治家の知的レベルの低下ははなはだしい。造反議員の自民党復党劇を見ていても、道路特定財源の一般財源化の議論を見ていても、見識を問うなどというより最低限の政治的な知識がないとしかいいようがない。困ったことだというより、恐ろしいことだ。免許証がない者が大型自動車を運転するようなものだ。小泉首相もそうした恐ろしい政治家のひとりだった。小泉氏は日本の政治の質を貶め、日本という国を滅茶苦茶にしてしまった。それなのに小泉氏の亡霊はまだ生きている。
「一利を興すは、一害を除くに若かず」ということばは、若いうちはなかなか理解できないことばだった。しかし、なぜこれが政治の真髄をいい当てているかというと、「政治の世界の害」というのは比較的明確にいえるからである。政治的立場を異にしても同じことを共有することができるのだ。例えば、官僚の天下りや莫大な国債の不健全性など──これを何とかしなければならないことには、そんなに争いがない。争いのないことだけでいいから、これを着実に取り除いていく。それは、やる気になればそんなに難しくない筈だ。
しかし、なにか目新しいことをやろうとすると、これは争いが出てくる。これからやろうとすることには、そもそもいろんな選択肢があるのだ。どの選択肢が一番正しいかということは、なかなか難しいものである。もうひとつには、新しい施策を実行するためには、だいたい新しく予算を付けなければならないことがある。わが国の官僚は、こうやって予算を取る名人だ。これを見抜き、ブレーキをかけられる政治家は滅多にいない。素人が見ても馬鹿らしい無駄遣いも多いが、新しい施策を実施するということで使われる馬鹿らしい予算は、その何倍、何十倍もあるのだ。
「改革、改革!」と政治家が叫ぶことにより、官僚は、いろいろな新しい施策を政治家のところに持って行き易くなる。そんなことをいろいろとやるより、国民の大多数が何とかしてくれという問題を一つひとつ解決していくことが政治の仕事だというのが、「一利を興すは、一害を除くに若かず」ということである。実に味わい深い、透徹したことばではないか。保守政治家というのは、改革ということばを安易に使うものではない。
自民党の政治家で「私は保守政治家でない」という者は、まずいない。自民党の数少ないアイデンティティは、保守と政権に対する執着である。保守政治家のいう改革は、特に気を付けなければならない。それは本質的に矛盾しているからである。「自民党をぶっ潰す」と論理的・精神的に矛盾したことを叫んだ自民党総裁が、恐竜のような空恐ろしい自民党を作ったのは、つい最近のことだ。また騙されるとしたら、騙される方にも多分に問題があるといわなければならない。
それでは、また。