鍛え抜かれた肉体美
07年08月26日
No.530
このところちょっと睡眠不足が続いていたので、昨日は炎天下の散歩はよして、午後6時から散歩に出かけた。最初のうちは蝉の音が木々の下で聞こえたが、日が暮れて午後7時ころを過ぎると秋の虫の音がした。神宮外苑の杜である。暗い木の繁ったところではもう喧しいほどである。その中で寝ぼけた蝉の鳴き声がするのがおもしろい。涼しそうなところで休むと、もう秋の風が確実に吹いている。
このようにある面を捉えると次の季節が始まっている季節を晩○というのではないか。秋の蟲が鳴くということは、初秋といってもよい。しかし、それはほんの兆しにすぎないから、いまはまだ初秋ではないのだろう。従って晩夏というべきなのであろう。夏の全盛期は、盛夏である。盛夏の特徴はなんといっても暑さである。盛夏に本領を発揮すべき暑さがそのまま残っているから、残暑というのだろう。だから現在の暑さは、まぎれもない残暑である。しかし、この残暑も、もうあまり続かないのであろう。そうすると炎天下の散歩もそんなにできないことになる(笑)。
世界陸上はいきなり男子マラソンからはじまった。マラソンに団体優勝があるとは知らなかった。日本はこの団体優勝をした。しかし、あまりピンとこない。女子マラソンでは日本選手が何度か優勝しているが、男子はまだ優勝したことがない。それでも日本は長距離では世界レベルということなのか。国立競技場は神宮外苑にある。だから私が散歩するところに国立競技場のマラソンゲートもある。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、4年前のローマオリンピックに続きアベベが優勝した。このマラソンゲートを通る度に、そのことを思い出す。
以来、エチオピアは長距離大国となった。昨日も女子1万メートルでなんとかという選手(ヂュババ?)が優勝した。最後の一周のスパートは、ふつうの身体能力では考えられないものであった。あれがエチオピアという高地でいつも練習しているエチオピア勢がもっている独特の身体能力なのだろう。その中で福士加代子選手が健闘していた。福士選手は、いつも底抜けに明るい。わが国では珍しいキャラクターのアスリートである。こういう選手がもっといてもいいような気がする。
それにしても選手たちの姿を見ていると、肉体美ということを感じざるを得ない。鍛え抜かれた身体は本当に美しい。私も炎天下の散歩に励んでいるのだが、無理なことはしないということを鉄則としているので、とても美しい身体にはならない。そればかりか、最近では徐々に体重が増えている。以前に比べれば、ほんの少ししか食べていないつもりなのだが、私の胃腸はよほど消化吸収がよいのだろう。ほんの少しだけカロリーオバーでもこのように体重は増えるし、食料が少し足りないだけでも人間は痩せてゆき、栄養失調になり最後は餓死する。人間というのは難しい生き物だ。
昨日の世界陸上の開会式には、天皇皇后両陛下がご臨席されているのに午前0時からのNHKニュースでは世界陸上のことは一言もなかった。放送協定から報道できないのだろうか。私はちょっとおかしいのではないかと思う。本日の日曜定番の政治番組では多分間近に迫った党・内閣の改造のことが話題になるのだろう。私はまったく興味がないのでみるつもりはないが、まあ出演者がどういうことをいうのか見ておくことは今後の参考になるだろう。安倍内閣末期のドタバタ劇ではなく、自公“合体”政権末期のドタバタ劇と私はみている。ドタバタ劇でも、劇は劇である。みておくことも無駄ではないだろう(笑)。
それでは、また明日。