改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり(補正)
06年12月03日
No.266
昨日の東京は、抜けるような快晴であった。文句のない小春日和だった。小春日和は冬の季語だよと国語の時間で習った。しかし、当時裏日本といわれた新潟県に住んでいた私たちには、これが実感として理解できなかった。俳句というのは変わっている、難しいんだなぁーと思うだけだった。カシオの電子辞書のCMでも、小春日和のことが触れてられている。電子辞書は持っていないが、改めて広辞苑を開いてみる。
こはる【小春】(暖かで春に似ているからいう)陰暦10月の異称。<季・冬>。――・び【小春日】小春の頃のうららかな日。また、その日ざし。――・びより【小春日和】小春の頃の暖かいひより。小六月。
今日は朝から用があって1日中外出していたが、朝出かける時にみた天気予報(おっと、これも最近では気象情報というのだった)では、北海道や新潟県などは雪が降るといっていた。実際に降ったのかどうかいま帰ってきたばかりで確認していないが、私たちが小春日和というのを理解できないのは、これなんです!私たちが小さい時は、いまより冬が早く来ていたような気がしてならない。私の家では、11月の戌(いぬ)の日まで炬燵(こたつ)をいれてもらえなかった。11月ともなると霙(みぞれ)が降る。またそういう日が多いのだ。そんな日は本当に寒くて寒くてどうしようもなかった。友だちの家にいって、炬燵に入ると本当に暖かかった。
11月になると初雪が降ることも珍しくはなかった。積雪があると、今日のように快晴であったとしてももう暖かかくはならない。だから広辞苑がいうような裏日本では「暖かいひより」にはならないのである。これでご理解いただけたかなぁー。文句のない小春日和であったが、木陰やビルの陰に入るとやはり寒かった。日本海側の地方を裏日本と呼ぶのは、気象からいうとその通りなのだ。だから裏日本と呼ばれることに、私はそんなに抵抗を感じなかった。裏日本が抱える雪というハンディキャップを表日本の人々に理解してもらえるならば、それはそれで良いと思っていた。雪――積雪は、本当に大きなハンディキャップなのだ。車社会になって、それは死活的なものとなった。
このように実態を感じることができない言葉というのは、正しく理解できないのだろう。この前紹介した週刊金曜日主催の「緊急市民集会」で知ったことなのだが、伝統という言葉は日本語にも中国語にもなかった言葉なのだそうだ。江戸学が専門という田中麗子教授のご教示である。吉田兼好の本物の「徒然草」に、「変えて益なきは変えざるがよし」というものがあるのだそうだ(これもノートしてこなかったので、正確でないと思う)。永田町徒然草などという大そうなキャッチコピーを使わせもらっている者として、このことを知らなかったことに不明を覚える。しかし、さすがは吉田兼好である。
※この原稿を書いている時、手元に資料がなかった。いずれ図書館に行って調べて補正しようと思っていた。しかし、私のWebマスターがインターネットで検索して正文を送ってきてくれた。原典の文章は次のようなものである。 「改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり。(百二十七段) 」 ――12月3日午後11時20分補正
伝統という言葉がなかったのであるから、「伝統を守る」ということもいわれなかったのだという。別に守ろうとして残ったものが伝統ではない、そんなことをいわなくても意識しなくても残るべくして残ったものが、いま私たちが「伝統」といっているものだというのが、田中教授のご説であった。この説はおおいに理解できる。私たちが保守とかと右寄りと呼ぶ人々は、声を大にして「伝統を守る!」とか「良き伝統は守られなければならない!」と演説する。安倍首相もそのひとりだ。守るというくらいだから、流され無くなろうとしている何かを無くさないようにしようというのだろう。その意味では保守的な政治思想といえなくはない。
それにしては、この人々はいま盛んに何かを変えようとしているのではないか。憲法改正、教育基本法改正、防衛庁設置法改正、税制改正、構造改革などなど。しかし、これを変えたらどういう益があるのかという説明がない。近ごろ盛んに用いられる「説明責任」を果たしていない。原典の通りでなくて恐縮だが、この人々も「改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり」という吉田兼好の言を知らないと思う。これまであったもの、守られてきたものがなぜ消えて無くなろうとしているのか。その原因を深く考察することがまず必要であろう。生々流転は、方丈記の鴨長明が説いたことだ。生々流転を常とする世の中で、あえて声高に叫ばなくても不易なものとして残っていくものにこそ、本当の価値があるのではないか。
これまでの伝統的な価値観では信じられないことや大切とされてきたことを打ち破る現象や事件が毎日のように報じられている。困ったことだという前に、どうしてそのような現象や事件が起きるのか為政者はまず考えなければならない。政治家は、森羅万象すべてに責任があると思わなければならない、私は考えてきた。この責任感と使命感――これを果たそういう情熱がない政治家の説教など国民が聞く筈がない。郵政造反議員の復党劇は、自民党や公明党にそうしたものの欠片(かけら)もないことを示してしまった。もう日本の政治はダメなのかもしれない。しかし、私たちが住む唯一の国――日本をダメにする訳にはいかないだろう。国民は奮起しなければならない。
それでは、また。