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私のぶらりの夏休み(その2)

07年08月20日

No.524

<永田町徒然草No.524からつづく>20人乗りくらいのバスに乗り、2時間ほどで草津温泉に着いた。いかにも温泉地らしいところだが、私が泊まる旅館は温泉街の中心からかなり離れていた。宿に着くとさっそく一風呂浴び、夕食をいただくことにした。私にしては珍しくビールを1本頼んだ。料理は美味しかった。夕食の後、夕涼みがてら「湯畑(ゆばたけ)」に出かけることにした。外はもうすっかり涼しかった。歩いて10分以上行ったところに湯畑はあった。おおぜいの人で賑わっていた。

草津温泉は、日本でも屈指の温泉地である。その名に恥じない温泉街の雰囲気が随所にある。湯畑はそのシンボルのようなところである。要するに源泉である。硫黄の臭いのする熱そうな源泉が溢れている。草津温泉の湧出量は、日本一だという。本当かどうかは知らない。観光地の「日本一」というのは、だいたい日本に最低でも3つくらいあるのではないだろうか。こういうのは偽装とはいわないのだろう。また罪もない。私は年の割には温泉が好きのほうだ。かなりの温泉に入っている。草津温泉の湯は、第一級のものだと思う。

もうひとつ感心したのが、草津温泉の温泉街づくりであった。全国の温泉地は、基本的にはどこも苦戦している。ひとつは新しいリゾートにおされているからである。若者たちは、昔ながらの温泉地に行くよりも何とかリゾートの方を圧倒的に好む。もうひとつは、温泉地の街づくりに原因があると私は思っている。どこの温泉地でも力のある旅館が大きなホテルを作り、お客を囲い込もうとして温泉街がもっている独特の雰囲気を失くしてしまった。いくら大きくて何でもあるホテルを作っても、温泉地全体がもっている温泉街の風情を失くしたのではお客は満足しない。草津温泉にも大きなホテルはいっぱいあるが、温泉地がもっているあの独特の風情を失っていない。ここが気に入った。

夜は少し寒いと感ずるほど涼しかった。前日の軽井沢といい、草津といい、暑さに悩まされることなく快適な睡眠ができた。同じ涼しさでもクーラーの涼しさとは全然違う。翌日私は草津温泉の主だったところを歩いて調査した。いろいろな温泉地づくりに努力していることがさらに分かった。伝統があることも大きな財産だが、そのような努力が草津温泉を全国でも屈指の温泉地にしているのだろう。ちょっと衒っていえば、伝統と革新ということであろう。全国の温泉地は、草津温泉から学ぶことは多いと思う。

草津温泉は、交通の便にはあまり恵まれていない。私は午前11時30分発の高速バスで東京に帰るつもりでバスターミナルに行った。ところが満席で午後3時まで乗れないという。ちょうどその時白根山・万座経由軽井沢行きのバスが出発するというのでこれに飛び乗った。軽井沢まで行って、新幹線で帰ろうと思ったのだ。ルートは標高の高いところを通る。道路は山を切り開いて作った厳しい道である。運転手さんが独りで頑張っていた。東京に帰りたいのだがというと、吾妻線で帰れば良いと教えてくれた。特急もあるという。吾妻線の万座・鹿沢口駅でバスを降りた。

切符を買ってホームに出るとちょうど高崎行きの普通列車が入ってきた。それに飛び乗った。高崎まで出れば、後はどうとでもなる。ちょうど昼下がりだった。お客はあまりいなかった。列車は日本の田舎の原風景という風情の残るところをひた走る。これはこれで良い。別に急ぐ旅ではない。途中で私は深い眠りに落ちた。高崎駅着いたところで目が覚めた。東京行きの切符を買っていたが、新幹線乗り場で考えた。東京に帰ろうか、それとも十日町市に行こうかと。

兄の家でご先祖様の仏壇はお参りしたが、父や母の眠るお墓参りをした訳ではない。やはりお墓をお参りしてこそ、本当にお盆だ。切符売場に行って行先変更ができるのかと訊くと200円の手数料を払えばできるという。十日町市に行くことにした。十日町行きの切符を買い、待っている間に電話をした。私の甥がお盆休みで家にいた。高崎からは新幹線とほくほく線の特急を乗り継げば、1時間で十日町駅に着く。迎えに着てくれた甥とお墓に行き、お墓を少し掃除してお参りを済ませた。

その間にもいろいろな手配をしておいて、午後6時半からは私たちの仲間で毎夏やっている鯨汁パーティがはじまる。『いまリベラルを問う』を贈呈していた社長さんのところにちょっとご挨拶にお邪魔したところ、お祝いをいただいたので鯨だけではなく静岡産の鰻も買って友人のところに集まった。友人の奥さんが畑から採ってきたばかりの野菜を使って美味しい料理と鯨汁を作ってくれた。もちろん最後は鰻丼である。食べかつ飲みかつ論じて涼しく楽しい夜は更けていった。

昨日目が覚めるとご無沙汰をしていたN市議会議員の先生のところに電話をしてお邪魔した。そこでインターネットをお借りして昨日の永田町徒然草をupdateした。前日とはうって変わってよい天気であった。当然のことながら暑くなってきたが、私たちは中越沖地震で大きな被害に見舞われた柏崎市に行くことにした。車でグルリと回っただけだったが、だいたいの被害の状況は把握できた。私たちは3年ちょっと前の中越地震と比べた。十日町市も中越地震では大きな被害に見舞われた。

どちらの被害も大きかった。それは比べてどちらが大きいというものではない。災害は一つひとつが別ものなのである。しかし、そこに住む人々に耐え難い苦痛を強いることは共通している。その苦痛の状況を的確に把握し、迅速な対策をとることが大切なのである。中越沖地震のこれまでの地震と大きく違うことは、原子力発電所と地震という問題だ。ちょうどNHKで朝この問題をやっていたが、切迫感と具体性のないものだったような気がした。他の問題は当然であるが、柏崎刈羽原子力発電所の被害調査と運転再開は慎重の上にも慎重を期す必要がある。安倍首相と同じで、これまでの経緯からいって東京電力などには信用がないことが大きなネックになるであろう。

午後4時28分の特急列車に十日町駅で乗って、6時20分に東京駅に着いた。私の夏休みはこうして終った。何となくぶらりと出かけた旅であったが、私は良かったと思っている。久しぶりにとった夏休みであった。鯨汁と鰻丼で栄養も十分摂ったし、リラックスした快適な時間も過ごし英気も養った。今日から私はけっこう忙しい。東京に暫くいるので、up to date なものを書けると思う。暑かったためにジックリと政局も考えることを疎かにしたが、こちらの方は深刻である。一つひとつ解明していかなければならない。

それでは、また明日。

  • 07年08月20日 12時10分AM 掲載
  • 分類: 1.徒然

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