私のぶらりの夏休み
07年08月19日
No.523
私の夏休みは、何となくきた。今年は8月13日いっぱい仕事をしていた。最後の仕事は、憲法改正問題講座の原稿を書き上げることだった。今回が同講座の最終原稿だった。はじめも困難であるが、物事は終わりも肝心である。そんなことで締め切りギリギリになってしまった。8月13日というとやはりお盆という感じになる。近くにある家内の父親のお墓にはお花も供えていたし、お参りもしていた。しかし、私の実家のお墓は新潟県十日町市にある。直ぐに行くという訳にはいかない。
私の家を継いだのは兄である。兄はこれまで実家を守ってきたが、子供たちがすべて東京で暮らすことになったので、数年前に実家を引き払い埼玉県久喜市に住むことになった。私はやむを得ないと思っている。仏壇はすでに久喜市にある。せめて仏様参りには行こうと思い、14日午後久喜市にある兄の家に向かった。このところ忙しかったので、数ヶ月ぶりの訪問である。仏様参りをしたので、まずは肩の荷を降ろした。久しぶりだったので、いろいろな話をしてその夜は終わった。甥はお盆の真っ最中だというのに仕事だった。これにはちょっと驚いた。
15日は、久喜市と同じく東武伊勢崎線にある足利市の友人のところに行くことにした。友人は昨年の暮れに軽い脳梗塞を患ったが、元気になり仕事に復帰した。お見舞いを兼ねての久々の訪問である。すっかり元気になっていた。ちょうど友人の家にいるときに高校野球では、新潟県の代表である新潟明訓高校が試合をやっていた。私たちの応援が功を奏したのか、勝って3回戦に進んだ。本当に暑い日だった。その夜ニュースで知ったのだが、この日全国で一番の暑さを記録したのが群馬県館林市で、摂氏40.何度だったという。足利市はこの館林市の隣である。暑い訳だ。
足利市の友人の家を失礼したのは、午後8時過ぎであった。JR両毛線で高崎まで行った。新幹線に乗れば、東京に帰れることはできたが、あまりその気になれなかったので駅前のホテルに一泊することにした。私はこの夏は家ではクーラーを使わないことにしていたので、兄の家といい、このホテルといいクーラーの利いた部屋で休むのは快適だった。連日の暑さで疲れていたのだろう、熟睡をした。
16日は爽やかに目覚めた。食堂でおいしい朝食をいただいた。この日もよい天気であった。ということは暑い日ということだ。東京に帰る気にはなれなかった。私が泊まったホテルも軽井沢にチェィン店があるというので予約できるか聞いたが、週末まで予約で埋まっているという。まあ、当然だろう。不安はあったが、新幹線に飛び乗って軽井沢に向かった。新幹線では高崎からわずか一駅で到着である。
駅について私はまずレンタル自転車を2日間借りた。まあ、泊まるところはじっくり探すことにして、自転車でサイクリングを楽しむことにした。軽井沢には何度もきているので、だいたいの土地勘はある。サイクリングは快適だった。木立の通りや日陰に入ると実に爽やかである。そうでないところは軽井沢といえでもかなり暑い。しかし、やはり軽井沢に一泊するが最良の選択だろうと考えて、宿を探すことにした。朝着いたときに観光案内所で聞いていたホテルと旅館に電話をしたら、ホテルの方は駄目だったが旅館の方は大丈夫だという。そこに泊まることにした。その顛末は昨日の永田町徒然草で書いたところである。
永田町徒然草を打っていた喫茶店で、「草軽交通」というのが目に入った。急に草津に行きたくなった。軽井沢にもう一泊するのも選択肢としてあったが、軽井沢はもうかなり見たし徘徊した。「草津良いとこ一度はおいで、お湯の中にもコウリャ花が咲くよチョイナチョイナ」という歌は子供のときから知っているが、私は不明にもまだ草津温泉に行ったことがなかった。もうどうしても行かなければならないと気持ちになった。インタネットをおいてる喫茶店の主人は親切な人だった。詳しく教えてくれた。バスは満席だったが補助席でよければ乗れるという。宿もなんとか確保できたので、草津温泉に向かった。これは大正解だった。それ以降のことは明日書くことにしよう。
それでは、また明日。