政治家と演説
07年05月13日
No.424
沼は演説百姓よ
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
1960年(昭和35年)10月12日日比谷公会堂で右翼少年に刺殺された浅沼稲次郎社会党委員長に対する追悼演説の中で、池田勇人首相が紹介した浅沼氏の友人の詩(うた)である。プロ野球の日本シリーズを学校の図書館のテレビで観ていたとき、臨時ニュースで浅沼委員長が暗殺されたシーンが流された。私が中学三年生の時だった。そんなことで、この詩(正確には戯れ詩といった方がいいのかもしれないが……)を知って以来、私の頭にこびり付いている。
私にとって政治活動は、演説することであった。酒席やネゴは好きではなかった。演説が特に上手いほうではなかった。また早稲田大学雄弁会的なものは、私が理想とするものでもなかった。理屈ぽっく、長すぎるといつも注意されていた。しかし、私にはいつも訴えたいことが山ほどあった。そしていつもやるべき政治的テーマがあった。演説をすることにより、国民の賛同を得てそれを力として実現に一歩でも近付けることが私の政治活動であった。私は1979年(昭和54年)10月から2000年(平成12年)六月まで自民党衆議院議員として国会に籍をおいた。単なる員数の一人でありたくないと懸命に活動した自負だけはある。
自民党と公明党は、1999年(平成11年)10月5日連立を組んだ。以来この連立は続いている。自公合体政権が、わが国を支配している。私はこの連立に反対したのである。そして自民党と創価学会・公明党から敵とみなされている。だが私の信念は変わらない。私は自公合体政権に追従するつもりはないから、政治的立場は野党である。自公合体政権の力は野党やマスコミにも及んでいる。いろんな場面でこのことを感じた。そのために私は完全に政治活動の場を奪われた。
私はいまさらバッチを求めようとは思わない。小泉チルドレンと呼ばれる国会議員をみていれば、バッチを付けたからといって政治家といえないことは明らかであろう。政治家とは、政治的発言をし、何らかの政治的理想を実現しようという人間だと私は考えている。世の中に向かって、政治的発言をしている者は政治家だし、政治家ならば発言をしなければならないものがある。私が辿りついた結論は、インターネットを使って私の政治的考えを人々に向かって訴えることであった。これならばそんなにお金がなくても多くの人々に私の考えを訴えることができるからである。そして幸いにも多くの人々が私の政治的考えに関心をもって下さっている。この永田町徒然草を書くことは、私の現在の大切な政治活動なのである。
永田町徒然草で、私がいちばん大切にしているのはもののとらえ方と考え方である。私は自分の意見にあまり拘泥しようとは思わない。そのかわり、特定の政党にも迎合するつもりもない。天下の素浪人の特権だし気軽さだ。だが、私の政治的スタンスはシッカリしているつもりである。それは、リベラル=社会的公平を重視する自由主義という立場である。最近私はリベラルという言葉をあまり使わないが、リベラルという言葉よりその中身が大切だと思うからである。日本国憲法は、リベラルを基本にしている。憲法を守るということはリベラルであり、憲法改正を唱える保守反動は反リベラルなのだ。私はリベラルであるから、日本国憲法を蔑ろにする自公合体政権と断固として戦わざるを得ない。
それでは、また明日。