おかしいをおかしい、と言う心は ?
16年10月01日
No.1867
毎回の事だが、前号の永田町徒然草を書いてからの1週間に、政治的に重要なことがどれ程あっただろうか。これらを一つひとつを取り上げ、専門家を登場させれば、ニュース情報番組は途轍もなく緊張感のあるものとなる筈である。そして、国民の政治に関する問題意識は高まり、政治に対する敏感な反応が必ず生じる筈である。そのような緊張関係こそが、質の高い政治を作り出すのだ。
ところが、わが国の現状はどうであろうか。ニュース情報番組は、豊洲・豊洲の大連呼だ。得意然とした司会者…というのかキャスターというのか知らないが、彼らが、我が国の危機を一身に背負っているような雰囲気で、番組を仕切っている。安倍首相の所信表明演説はスルーしているのに、小池都知事の所信表明演説全部を実況中継していた局もあった。小池知事の演説を中継して悪いとは言わないが、わが国の政治の問題を取り扱うというのなら、この状況は明らかにおかしい。
「明らかにおかしい」と思われる事を、これでもかこれでもかと繰り返す裏には、何かある。ジャーナリズトや国民は、この現状に疑いを持たなければならない。だが、それを指摘するジャーナリストの発言は、聴いたことがない。ならば、私がハッキリと言おう。「国政の問題から国民の目を逸らす」ためにやっているのだ。マズゾエ問題の時も、そうだったではないか。この時の最大の国政上の問題は、参議院選挙だった。
豊洲新市場の諸問題など、長い間政治と行政の癒着を見てきた私にとっては、想定内のこと。こんなことは、政府レベルでも平気で行われていたことである。しかし、政府レベルでは、会計検査院と野党の踏ん張りがあったため、時には、悪事が露呈されることもあった。都レベルでは、シッカリした野党が存在せず、会計検査院のような強力な監査機関もないために、今回、豊洲新市場の出鱈目ぶりが明らかになっただけのことである。
小池知事の「東京大改革」なるものに、多くの都民や国民が期待しているようだ。私も小池知事が「東京大改革」をするのに反対はしないが、そのためには、小池知事が自民党とハッキリと手を切らなければならない。さもなければ、“大改革”などできる筈がない、と指摘しておく。小池知事は早速、新しいプロジェクトチームをいくつか発足させているが、都民の期待に反するようなことを平気で口にするメンバーもいる。小池知事も、適当な“落とし処”を、早くも考え始めているのではないか。
“大改革”と“革命”の違いは何なのか。これを論じ始めると、大論文になる。とても、ここで扱う訳にはいかない。豊洲新市場よりも大きな問題になるであろうオリンピックの諸問題を考える場合、誰も、東京オリンピック・パラリンピックの返上を口にしていない。革命ならば、東京オリンピック・パラリンピックの返上もあり得ると考えて、問題に立ち向かう。分かり易く言えば、そういう違いだ。小池知事に、こういう雰囲気は一切ない。
官邸に牛耳られたマスコミが東京問題で大騒ぎしている間に、国会で生じた大きな問題が等閑視されている。まさに、東京騒動の狙いが的中しているのだ。山ほど問題を抱えているのに、安倍内閣の支持率は上昇しているという。これを受けて、安倍首相は年末か年始に衆議院を解散するとの見方が強くなっている。この国は、もうおかしくなっている。その原因は政治にあるが、おかしい政治家を選出しているのは国民である。
こんな状況の中で何を言っても無駄かもしれないが、それでも私は、“言いたいこと”や“言わなければならないこと”を、言い続ていくつもりだ。その心は ?
「あなたの行動がほとんど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければならない。それは、あなたが世界を変えるためではなく、あなた自身が世界によって変えられないようにするためです」
という、ガンジーの言葉が忘れられないからである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。