無知と無恥のファシズム
15年03月22日
No.1741
このところ、私は何度か、安倍首相とその仲間が進める政治をファッショとかファシズムと表現してきた。戦後の政治をそれなりに見続けてきた者にとって、現在安倍首相とその仲間が進めている政治は、戦後の政党や政治家たちが目指してきたものを、明らかにファッショ的に否定し、破壊しようとしていると判断せざるを得ない。
ファシズムは、ある政治理念や政治思想を暴力的に排斥し、それと相反する政治理念や政治思想に置き換えようとする政治行動を表現する政治用語と、私は承知している。ファシズムが最初に生まれたイタリアでは、自由主義と民主主義体制が否定され、全体主義と独裁体制に置き換えられた。ファシズムは暴力的に行われる場合もあるし、選挙を通じて行われる場合もある。
選挙を通じて行われる場合にはもちろんだが、それ以外の場合でも、ファシズムは、権力者だけの意思と行動のみでは完成されない。社会全体を暴力的あるいは狂信的に巻き込む政治行動であるから、大衆の参加、もしくは協働があるのが通例である。大衆社会においては、マスメディアの協働が極めて大きな役割を果たす。だから、現代におけるファシストは、マスメディアを懐柔、もしくは籠絡しようとする。
安倍首相とその仲間が進めようとしている政治の内実(=私はそれをファシズムと呼ぶ)は、一言でいえば、政治に対する“無知と無恥”の狂信的妄信から発しているのである。言葉を変えて言えば、安倍政治の本質は、“無知と無恥のファッシズム”と断言して、間違いないであろう。このような視点から見ると、安倍首相とその仲間がやろうとしていることの本質・危険性が実にクリアに見えてくるのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。