6666666
14年09月06日
No.1692
常連の方は、タイトルの意味することが直ぐに分かる筈だ。当白川サイトのホームページにある、アクセスカウンターの数字だ。今日多分、これが6666666を超える。サイトを開設した当時は、多くのサイトにアクセスカウンターがあったものだ。私が最近見ているサイトには、あまりない。しかし、私はこの数字を大事にしている。単純な数字に過ぎないが、この数字は、サイトの拡がりや性格や信用度など、重要なことを判断する上でいろいろなことを教えてくれる。
いつも言っているように、当サイトにアクセスする方の13%くらいしか、ホームページから入ってこない。ということは、これまでに5128万余のアクセスが当サイトにあったことを、この数字は物語っている。サイト開設から14年余となるが、私が歩んできた道と、週一回くらいしか更新されないこのサイトの存在意味を表していると思っているのだ。
永田町徒然草は、私の独白みたいなものである。人は己の存在に意味がないと思ったら、生きることにあまり積極的になれないのではないか。当サイトにこれだけのアクセスがあるのは、私の存在が決して無意味でないと、少なくとも私自身を納得させてくれている。だから、私は勇気を掻き立て(笑)て、永田町徒然草を書いている。
私の政治的スタンスは、保守リベラルである。従って、私の政治的発言も保守リベラルだと、私は思っている。これは、当サイトの一貫した姿勢である。国会議員の頭数でいえば、保守リベラルなど、いまや絶滅危惧種である(笑)。しかし、多くの国民の政治的考えや行動は、政治学的にいえば、保守リベラルなのである。国民の政治的考えや行動が、圧倒的多数なのだ。この乖離が、当サイトのアクセスが多い理由なのであろう。
国会議員の頭数が重要なのではない。国民の政治的価値観が重要なのだ。国民の政治的価値観が間違っていなければ、政治がおかしな方向に行くことはない。国民の政治的価値観と国会議員の頭数の一致などは、政治家が努力すれば必ずできるのである。だから、私は政治的に絶望していないのだ。しかし、保守リベラルの政治的発信がなくなれば、保守リベラルの政治勢力は衰える。
だから私は、使命感のようなものを感じつつ、永田町徒然草を書いているのだ。今年の暑さには、本当に参った。しかし、あの暑さの中でも、当サイトへのアクセスは衰えなかった。8月下旬から、暑さはなくなった。アクセス数は、明らかに増加した。読者諸氏も、あの暑さには参っていたのだろう。そんなことを含めて当サイトは、いまや、私の口だけでなく、耳であり体の一部なのである。
安倍首相とその仲間がいちばん嫌いなのが、保守リベラルなのである。彼らは、厳密な保守主義の定義に従えば、“保守”ではない。彼らの頭では、リベラルの基本である“自由主義”は、理解できないのだと思う。自由主義は、知識と経験が無ければ、実際に理解することができないのだ。知識と経験とは、歴史を学ぶことである。歴史を学ばない者は、保守主義者でもなければ、自由主義者でもないのである。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。