暑さの目途はついたが…。
14年08月30日
No.1691
今日は、8月30日。夏はやはり8月だ。平成26年の夏も、間もなく終わろうとしている。今年の夏の思いは、人により地域により、大きく異なるだろう。東京に住んでいる私の思いは、「とにかく、今年の夏は暑かった」ということに尽きる。暑さにそんなに弱い方ではなかったが、今年の夏は、日々の生活が辛かった。全国的には、あっちこっちで豪雨に見舞われたところが多かったが、東京を中心とする首都圏には、ほとんど雨が降らなかった。
そんな東京だが、数日前から急に涼しくなった。私も、昨日は長袖のワイシャツで出かけた。この数日の雨は、降ったがどうかという雨だったが、昨晩から雨が降り始め、日付の変わる頃から本格的な雨となり、未明の頃には、相当の雨脚となった。ちょうど渋谷に出かけていたのだが、タクシーが拾えず、朝の5時過ぎに漸く乗ることができた。
土曜日も、私はいつも仕事だ。夕方帰る時には、爽やかな気候に。空の雲は、もう完全に秋の雲であった。9月2日頃からまた暑くなるというが、“暑さ寒さも彼岸まで”だ。残暑が厳しい日もあろうが、もう終わりは見えている。目途が立てば、人は厳しさに耐えられる。夏の暑さはもう良いとしても、国際情勢と国内政治の混乱には、一向に目途が付く気配がない。困ったものである。
国際情勢の混乱について語り始めれば、キリがない。だから、今日は止すことにする。ただ、ウクライナ問題とイスラム国問題には、どうも従来の私たちの考え方では対処できない、大きな問題があるような気がしてならない。“私たちの考え方”とは、アメリカやヨーロッパやわが国における、基本的な価値観のことをいう。ロシアは、依然として“ソビエト・ロシア”なのかもしれない。アラブは依然として、やはり“アラーの神が支配する地域”なのかもしれない。
そんなことを言えば、アメリカやヨーロッパの人々から見たら、日本という国も摩訶不思議な国なのかもしれない ─ いや、きっとそうだと思う。近代啓蒙思想の価値観を共有していると思っているのは、実のところ、私たち日本人だけなのかもしれない。日本国憲法に忠実な日本は、アメリカやヨーロッパの人々に理解されるであろう。この憲法を公然と否定する首相を熱烈に日本人が支持しているとすれば、彼らがわが国を“不可思議な国”と思うのも、仕方がない。
わが国の“奇跡的”といわれる戦後の復興は、実は日本国憲法を基本とする近代化が齎した結果であった。日本国憲法を基本として成長発展してきたわが国が、アメリカやヨーロッパに認知され、アメリカ社会やヨーロッパに受け入れられてきた歴史でもあった。価値観を共有していると思われることは、経済活動にとっても非常に重要な要素なのである。
国内政治の混迷は、いつも言っている通り、極めて深刻である。マスコミが腐り始めているからだ。健全なジャーナリズムがないところに、“まともな政治”が行わる筈がない。まともな政治がない国が発展し、成長する筈もない。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。