酷暑の中で無念な最期
13年08月10日
No.1598
昭和20年8月6日の広島に原爆が落とされた日も、8月9日の長崎に原爆が落とされた日も、8月15日の玉音放送があった日も、カンカン照りの暑い日であったようだ。敗戦の節目の日は、いずれも、いまの言葉でいえば猛暑か酷暑であった。わが国の多くの兵士が戦死した東南アジアや南洋の島々も、酷く暑かったであろう。まさに、“酷暑”の中で多くの人々が亡くなっていった。
そのことに想いを巡らせば、今日の暑さくらいで音を上げてはいられない。それにしても、暑いことは暑い(笑)。今日は土曜日だが、いつもの通り、私は白川勝彦法律事務所に出て仕事をしていた。その仕事がいま終わり、これから、新幹線で郷里十日町に帰るところである。お墓参りを兼ねた帰省である。兄が亡くなり、残された男の子は私だけになったので、これは、私の役目だと心得ている。
明日は午前中にお墓の掃除を済ませ、夕方には、5人の姉たちとお墓参りをする。父や母が眠るお墓の前に立つと、やはり厳粛な気持ちになる。いろいろあるにせよ、父と母がいたから、私たちは今、ここにいるのである。この単純明快な事実を大切にしたいと、私は思っている。書きたいことはあれこれあるが、出立の時間となってしまった。
今日は、このくらいにしておこう。それでは、また。