スパッと決断!
07年03月04日
No.354
何事でもスッパリと切るというのは、ひとつの決断である。この数ヶ月いつも気にかかっていたことに、私はひとつの決断を下した。いろいろと思い悩んでいたのが嘘のように実に晴れ晴れとしている。こんなことなら数ヶ月間も悩む必要はなかった。これからは何事もあれこれと悩まないで、熟慮はするができるだけ早く決断するようにしたいと決意した次第である。
「ジーンズに関する悩みがある。いま持っているジーンズが2着とも5センチほど長いのである。いまのところ折り返してはいているが、これを裾詰めするかどうかという問題なのである。ジーンズをはいている人をみると、裾をどうしているか観るのだが、私のように折り返している人はほとんどいない。皆さんちょうどいいものを買ったか、裾詰めをしたかのどちらかなのだろう。折り返しが洒落ているとは思わないが、わざわざ裾詰めなどしないで“そのまんま”にするのがジーンズのジーンズたるところなのではないかという気もして、決断しかねているのである(笑)。」(永田町徒然草No.334)
一昨日ジーンズのズボンを紙袋に入れて、私は敢然と原宿のある裾詰め屋にもって行った。健康生活を実践していたころ裾詰めをしてくれる店があることは知っていたからである。2軒知っていたが、少し奥まったところにある店に行った。そのお店は小さなビルの2階の一室にあった。ドアを開けると若い女の子がひとりで仕事をしていた。長さを測ってもらって、裾詰めのお願いした。代金は一着800円であった。30分後には出来上がるというので、若い人たちでゴッタがえす竹下通りをぶらつき、コーヒーを一杯飲んで取りに行った。裾詰めは見事に出来上がっていた。
家に帰ってさっそく裾詰めしたズボンをはいてみた。いやにスッキリとした感じがした。私のジーパンはまだ新品なので、ごわごわしている。そのうえ裾を5センチほど折り返しているので足もとのあたりが余計ごわごわしていた。それがスパッと切り落とされたのだ。ちょっと寂しいくらいにスッキリとしている。だがスースーする訳ではない。外出したとき、ドアに映してみたら以前よりスッキリとしていた。家で立ったり座ったりするとき、裾元をみたがやはりこの方が良いみたいだ。本当は裾詰めではなく、自分でハサミで切っても良かったのかもしれないが、そこまでの決断はできなかった。
今日は日曜日である。だからという訳ではないが、くだらないことを書いた。でもこうした雑事を私は最近できるだけ楽しむようにしている。雑事は決して雑事に留まらないのである。今日は政治4番組を観ないことにする。観ればどうせ問題があるだろうから、また批判を書かなければならなくなる。今日はそんな暇はないのだ。書かなければならない原稿がまだ沢山あるのである。昨日『マスコミ市民』に連載中の憲法改正問題講座の新しいものをWebサイトに掲載した。ちょっと長いがぜひ一読願いたい。題は「社会を変えた基本的人権」である。
「戦後民主主義といわれる政治は日本の政治や社会のあり様を変えてきたがそれは表層的な部分でしかないような気がしてならないのである。わが国の社会や国民の生活そのものを本当に変えたのは、昭和憲法が国民に保障した基本的人権であったような気がする。憲法はそれ自体が強烈なイメージとメッセージを発する政治的なドキュメント(文書)だということを感じずにはいられない。憲法とはまさにそういうものなのである。」
自公合体政権の安倍首相たちがやろうとしている憲法改正は、細かい点に触れなくとも文字通りわが国の社会をよからぬ方向に変えようとしている政治的運動なのである。彼らのこうした策謀を許せば、わが国は自由と人権が著しく抑制された国家になることは疑いない。現に法律的にも実態的にも国民の自由と人権は次々と抑制されているではないか。しかし、それは選挙で勝てば押し戻すことができる。彼らの憲法改正を許せば、自由と人権を取り戻すことは不可逆的にできなくなる。その辺あたりを考えながら読んでほしい。
それでは、また明日。