老化現象を逆手にとる
07年02月20日
No.342
昨夜万歩計を外したとき、その数字は14,153であった。昨日は運動をしなかったが、忙しくてけっこう歩いた。万歩計の装着は、私が外出するときのチェック項目のひとつに入っている。小さな紙には、1 カギ 2 財布 3 名刺入れ 4 キセル 5 たばこ 6 カメラ 7 TEL 8 万歩計 とある。これは外出の際にチェックする項目を紙に書いた物だ。なぜこのな紙を作ったかというと、このところ1回でちゃんと外出することができなかった。ひどい時には、3回くらい家を出てはまた戻るようなことがあった。要するにボケの始まりなのだろう。
以前はこんなことはなかった。もちろん忘れ物はあったが、その日持っていく物を忘れて2度も3度も玄関を出入りすることはなかった。それでも私は家を出たところで、あっ携帯電話を忘れていると気が付くだけまだいい方だと思っている。その内に、携帯電話が必要になるまで気が付かなくなるのではないかと想像している。ボケというのは、記憶のテーブルの上にいままで10個載っけることができたのに、7個しか載らなくなるということなのではないかと思っている。若いときならば、外出の際に必要な物としてわざわざ紙などに書かなくても上記の項目が苦もなく載っけられていて、これらを自然にチェックした上で玄関の戸を開けていたのだろう。いまではそれがひとつとかふたつ欠落するのだ。
歳をとるとよく物忘れするという。パソコンでいうと文書ファイルを一旦開くとそれが重要なものであろうがなかろうが、保存をしなくていいですかというクリックをしない限り一旦開いた文書はパソコンのどこかに残っている。ところが、保存をしなければならないことが勝手にパソコンから消えてしまうようなものであろう。若いときは“これは大事だぞ、忘れてはならないんだぞ”と記憶しておけば、これは済んだと確認するまで頭の中に残すことができた。それが解除指令を出さないにもかかわらず勝手に消えてしまうことをいうのだろう。若いときは、10個くらいの大事なことを頭の中に保存できたが、それが減少することを“物忘れが多くなった”というのだろう。
だからボケというのは、記憶力がなくなるとか思考力がなくなるというのではない。たいした問題ではないのだ。これは大事だぞ、実行するまでは頭の中に保存しておけよということをメモにして、実行するまで手元に保存しておけばそれで済むことなのである。私もそろそろ本当はこれを実行しなければならないのだが、実際にはやっていない。その代わり、思いついたときに即実行するように心がけている。そのうちお会いしましょうということで電話を切ることはいっぱいある。愛想にそういうのならば別だが、本当にその人にお会いしたい、また相手が私と会うことを希望しているようであったら、その場で手帳を出して会う日を決めてしまうようにしている。だから、最近では以前よりもおおぜいの人と会うようになった。
何かをしているとき、「アッ、あれをしなければならない」と思ったら、いまやっていることを中断してでも、そのことを実行することにしている。それではいまやっていることが中断されることになるのではないかという人もいると思うが、そんなことが思い浮かぶときというのは、たいしたことをやっている訳ではないのであまり実害はない。息抜きにもなる。中断してはならないと思ったら、紙に書いておけばいいのである。昔ある年輩の政治家が背広のポケットに小さな紙の束を忍ばせておき、これを取り出して何かメモをしていたが、きっとこういうことをしていたのだろう。
誰でも歳をとる。人によって現れ方は違っても、歳に応じて老化現象は出てくる。それは恥ずかしいことではないのだ。そしてそれは意外に単純な現象なのであるから、対応策も意外に単純なことで済むのだ。“その内に”というのはどうせ忘れると覚悟し、後に回さないで即実行するようになって、私は若いときよりも仕事がテキパキとできるよう気がする。これは老人のイライラとは訳が違う。若い諸君の中にも、やりますといったことを待っていても催促しないとなかなかやってくれない人もけっこういる。これは老化現象ではない。やらなければならないこととどうでもいいことを峻別する機能がその人の頭の中にインストールされていないのじゃないかと私は思っている。これ以上書くと「なるべくコンパクトに」という大原則を忘れているぞといわれそうだ。
それでは、また明日。